よろしくお願いします。

 たごもりです。
 うえだ君とブログを始めることになりました。
 何か読者に伝えたいこと、発信したいことがあるのか、考えてみたけれど、僕はこれといって思いつきません。うえだ君は、どうでしょうか。なにかありますか。
 基本的には何も書きたいことは無いのですが、振り返ってみると、僕はいろんなブログを書いてきました。たしかAmebaブログでやっていた、『桃とシナプス』とかいう名前のブログは、二年間ほど続きました。gooブログでも二年くらい、学生生活のことや読んだ本や観た映画について、いろいろと書いていたような気がします。
 そう、書いていました、毎日のように。ただ、何を書いていたか、ほとんど思い出せません。
 なんの目的もなく、ただただ日々の出来事を書いていたんだと思います。今となっては、そのブログたちを見つけることすらできません。それらの言葉が目の前に残っていれば、思い出す過去たちもあったのだと思います。

 僕の場合、過去の日記を見返すと、「ああ、恥ずかしい」と赤面してしまうことがほとんどです。「あのころの自分は若かった、今の自分がかつての自分のそばにいたら、頭をひっぱたいてやりたいものだ」と、もどかしい思いをすることが多々あります。
 そしてそれはこれからも同じで、三〇の自分は二〇の自分を、四〇の自分は三〇の自分を、「ふがいない、思い出したくもない、恥さらしめ!」と思い続けていくのでしょう。僕の歴史は、あとにも先にも金太郎あめのように一直線に伸びる黒歴史に他ならないと、気付いたのです。
 そう考えると、こうして日記を書き残し、未来の自分に文章を届けることは、まさしく、未来の自分をより深く苦しめる作業であるようにも思えます。過去なんて、見て見ぬふりをしたほうが、いつだって人は、生きやすいのです。
「今の気持ちや、頭のなかの考えをコトバにして残すなんて、やめたほうがいい。あとになって恥ずかしくなるだけだ」
 人生を長く過ごし、人生を生きやすくすることに長けた人たちは、きっとこう言うでしょう。そして、彼らはブログなんてものは書き残さず、棒のように伸びる自分の過去の、どこを切っても金太郎は現れず、そんなのっぺらぼうな過去のさきっちょで、自分の過去をもどかしく思うこともないのでしょう。
 ただ、そうやって生きやすいほう、生きやすいほうへと逃れていくと、今度は成長が止まってしまうような気も、しませんか。どうですかい。
 まあ、そのような理由で、これからも僕は自分の言葉を大切にしていこうと思います。その言葉たちを自分の日記帳にとどめておくのではなく、このようなかたちで皆さんの目にふれるようにしている理由は、いままでのヘリクツよりずっと簡単です。ただ、おしゃべりが好きだから。
 そんなこんなで、一回目の更新を終わります。次からはもっと明るく楽しく、どうでもいいことを書こうと思います。「ああ、なんで初回はあんなにかしこまったことを書いたんだ」と情けなく思えるように。