こんばんは

こんばんは、ウエダです。タゴモリくん、なかなかの文学的表現で初回いい感じにスタートを切っていただきありがとうございます。
はてなダイアリーという、そこそこなチョイスも冴えてると思います。はてなダイアリーはときどき何か調べるときにYahoo知恵袋の次くらいに載ってることが、まあ多いですよね。調べ物の通過地点ではあっても目的地ではない感じ、僕は好きです。
いま、iPhoneでこの文章を書いてるんですが、サイトの操作性がちょっと微妙で今何文字なのか分からなかったり、一回間違って投稿したりしてしまいました。そういう点も含めて愛すべきサイトだと感じますというところから、ですかね…今日は。
文体が回数を重ねるうちにコロコロ変わる恐れがあること今のうちから断っておきます。

さて、過去の話、引き継いでみましょうか。僕は日記やブログ書いたりしてこなかったので、タゴモのいう金太郎飴をモノとして持ってるわけではないんですが…頭のなかに長大な金太郎飴が存在していますね。切り口はどこを切ってもあまり見た目のいいもんじゃないね。

でもね、つい、それも頻繁に切っては眺めしちゃうんだよなあ。で、わああってなって、考えまい!という、その繰り返しですね…
金太郎飴の綺麗な部分もあるといえばあるのね、でも完璧主義なのか、その断面の綺麗さよりも、その一部にちょっとずれてるとこがあると、そこのが気になっちゃう。後悔しいやね。

矛盾するようだけど、自分でもあまり後悔する必要はないとは思う。人は僕が失敗したこととか言われんと覚えてないし、はじめから知らないことも多い。
それに後悔から得られた反省点って、次に活かそうって思っても、猛省しても、結構、誤差の範囲。

猛省しても、また失敗することもある。「人は誰でも間違う。大事なのは同じミスを二度とやらないこと。」
その、いいたいことはわかるけども、やっぱりミスりますよ。人間。二回目も。

僕の場合、上の「」を心に強く抱くのが怖いね。だって、二回目失敗したら、もう救いがないもんね。
だから、ファジーに反省することにしてます。まあ、いいかと。そういうクッションを持ってることって大事だと思うから。頭に反省点が湧き上がってどうしようもないとき、仕方ないから向き合うけども、そこから得る教訓、これは、心の中にあっても、絶対の存在としては機能してません。僕の場合は。ある程度やんわりと未来を方向付ける、そういうレベルですかね。

日常的に後悔しまくってる僕が、なんとか普通に暮らしてるのは、それがファジーな後悔だからかもしれませんね。

今何文字?