子供について思うこと

 うえだ君、更新ありがとうございます。うえだ君の長文、というのはなかなか新鮮味がありますね。これからも楽しみにしています。あと、残念ながら1200字には達していませんでした(このブログのルールは「1200字以上!」です)。でも、別にいいです。あくまで目安、ってことにしましょう。
 うえだ君は、甘納豆は好きですか? 僕は最近、甘納豆にはまっています。というより、最近になってはじめて食べて、あれって小粒のわりにはちょっと食べたら胃に溜まるというか、一度にたくさん食べられるものではないので、気づいたらちょっとづつ食べてしまいます。振り返ってみると、子供時代、僕の家は甘納豆が出てくることはありませんでした。うえだ君のご家庭は、どうでしたか。

 子供といえば、人間の子供って、不思議な生き物です。
 馬のこどもは、見た感じ、「大人の馬にスモールライトを当てた」みたいな感じです。でも、人間のこどもはどうひいき目に見ても大人とは違います。まず、体にたいして頭が大きい。手もふにゃっとしてるし、なんか全体的に、丸い。髪も薄いし、手足が無意味に動いてる。あの意味もなく手足が動いている感じが、ちょっと怖いです(赤ちゃんの方、ご覧になっていたら、すみません)。
 僕のおばあちゃんは犬、というより動物全般が苦手なのですが、その理由が「何を考えてるのかわからないから」というもので、僕もおおよそこれと同意見です。犬とかチンパンジーとか子供って、何を考えてるのかわからないのです。猫とかネズミとか虫は、「そもそも大したこと考えれなさそう」だからそんなに怖くないのですが。思考能力はあるくせにそれがこっちからよく読み取れない、っていうのが、子供の怖さなのかなあ、と思います。身勝手な話ですね。
 そう考えると、「じゃあ子供はいつから大人になるんだ」ということを考えなければいけません。
 先日、道を歩いていたら、中学生の大群に出くわしました。
 青梅街道を早稲田方向に、男子の列、女子の列、と交互に伸びる川のような(川、というよりビジュアル的には「ll」のような)列を眺めて、この人たちは大人なのだろうか、子供なのだろうか、と考えました。
 僕は中学生のころ、学年で動物園なんかに出かけるとき、列を作ってみんなで歩いていくのが、とても嫌でした。その間じゅう誰かと話をしなくちゃいけないし、おせっかいな女子に「うしろから車きたよー!」みたいな合図をかけられるのも嫌でした。「僕はひとりで道を歩けるんだよ!」みたいな。自分は周りのやつらほど子供じゃない、と思っていたのでしょう。かわいくない子供です。
 ただ、その青梅街道の列を見たとき、僕は「やっぱり中学生は子供かな」と思いました。列を作らされて、一定距離おきに先生たちを配置されながら歩いていく、っていうのは、隙あらば「迷惑をかける」、もしくは「逃げる」あるいは「はぐれる」存在として扱われているのだと思うからです。そして、彼ら彼女らは、自分たちがそのような「公共秩序にとってやっかいな存在」であることに、まったく気づいていないようなのです。今週のデジモンが面白かったとか、チョコと一緒にガムを食べたら消えたとか、きゃりーぱみゅぱみゅが可愛いとか、そんな話ばかりしているのです(幻聴かもしれません)。
 中学生だって、「列、かったりー。」くらいは思うはずです。でも、そこから「なぜ自分たちは列を作らされているのか」「なぜ先生たちが大勢、監視役で着いてくるのか」ということを改めて考えることができるのか、そこが大人と子供の違いかな、と思います。「あ、自分たちはまだ子供で、大人の補助がないと他人に迷惑をかけるんだ!」と気づいた瞬間、人は大人になるのかもしれません。