学校への行きたくなさ

 子供は二種類に分けられるという。学校が好きな子供と、学校が嫌いな子供である。

 ここまで書いたところで、はやくも僕の中のもうひとりの自分がささやく。「ちょっと待てたごもり。学校が好きとか嫌いとかそんなことは考えず、ただ漠然と『学校は行くもの』と考えて登校してる小学生だって、たくさんいるぞ」と。
 しかし、小学生でも四年生くらいになったら「学校って本当に行かなきゃいけないのかよ」くらいの疑問は持ってほしいものだ。ただ「親に言われたから」「平日だから」というまぬけな理由で、鼻水を垂らしながら登校していいのは三年生までだと、夜回り先生も言っていた。言ってない。

 自分の小学生時代を振り返ってみると、つくづく、学校に行くのが嫌だった。けれど、「学校が好き」という生徒や「学校が嫌い」という生徒とは上手くやれていたと思う。学校が好きな奴らは協調性があって、係や委員会の仕事もちゃんとやるし、掃除もみんなと協力してやる。学校が嫌いっていう生徒とは、体育を一緒に見学したり、休み時間「午後の授業嫌だね」なんて語りあったりして、心が落ち着く。では、どうしてそれほどまでに学校に行きたくなかったか、よくよく考えてみると、「何の考えも持たずにただ漠然と学校に来ている奴ら」との折り合いが、ことごとくつかなかった結果であったように思う。
 小学校に入りたてのころ、毎朝決まった時間に起きて、同じ通学路を通って登校、そして夕方まで教室に閉じ込められる、そんな生活があと六年間続くという事実に気付いた時、僕は愕然としたのを覚えている。なぜだ。家で本を読んだりゲームしたり、昼間の明るいリビングでのんびり家族と過ごすことが、なぜ許されないのか! おそらく、そんな考えを持っている生徒は他にもたくさんいた。よく友達と、「オレ先週休んだの、実はずる休み」「いいなあ」なんて会話をした。そして、それと同じ数だけ、やっぱり学校って楽しい!って思ってる生徒もいたと思う。

 さて、ここまで書いてみたところで、どうやら自分がダメ人間だと誤解されそうで嫌なので、というか本当に言いたいことは「学校嫌いであれ」ということではないので、軌道修正したい。
 僕は、学校が嫌いでもあったし、それと同時に、好きでもあった。何言ってんの、と思われるかもしれないが、僕はよく学級委員に選ばれていたし、なぜかクラスのみんなに信頼されていた気がするし、勉強はできなかったけど作文はクラスの誰より褒められて、すごく嬉しかったのを覚えている。友達とドッヂボールをするのも、先生が帰りの会で配る学級通信を読むのも、寄り道して友達と秘密基地を作るのも、大好きだった。
 つまり、僕はクラスという集団の中で、「こういうことをするのは楽しい」「こういうことをするのは嫌いだ」ということにいちいち敏感で、感情のおもむくまま、ときには学校が大好きで、ときには学校が大嫌いだったのだ。なんてことはない、よくある小学生の姿である。「学校が嫌い」ということに、すでに「学校のどこが楽しいのか」を発見していく方向性のようなものがあると思う。僕の親は毎朝「行ったら行ったで楽しいって!」とめげずに声を掛けてくれて、僕は毎朝駄々をこねながら、しぶしぶ登校していた。一度は家を出たけど学校に着く前に帰ってきたり、午前中だけで早退することも多かったけれど、週の大半はニコニコしながら下校してくる僕の姿を見て、親も「こいつはただ気分屋なだけだ」と気付いていたのだろう。
 で、僕が学校で嫌だったのは、自分では何も考えず親や先生の言われるがままにただ毎日毎日学校に来ている奴らの存在で……って、まあ、せっかくいい話になってきたところで、悪口めいたことを書くのは、やめにしよっーと。

 結論、子供は二種類には分けられない、というお話でした。