ルービックキューブ

いま、ルービックキューブの世界がすごい。
コンマ数秒を争う戦いに、世界中が酔いしれ、熱狂し、酔いしれ…

みたいな、ギャグ、あるよね〜
酔いしれもう言ったやん!!みたいな〜?

私はこの手法に重複列挙という名称を与えたい。私自身重複列挙が好きだったのだが、最近普及してきたというか、自分の中でベタになってきた感じがして、嫌いになつてしまった。まず重複列挙の長所と短所について考え、自然な流れで考察につなぎたい。

まず長所。トントンと列挙されていく要素のリズム感を崩すことで、相手の予想を裏切り、笑いを誘うことができる。
また、不条理感を演出できる。「なんでそれだけ二回言ったの!?」というわけだ。
さらに、汎用性が高く、様々な列挙系の文脈において使用できることも強みだろう。

短所。
ベタ。人間、何にでも順応してしまうものだ。酒をたくさん飲めば酔いにくくなる。それと同じで笑いにも耐性を獲得してしまうものだ。
ただ、笑いが酒の場合と異なるのは、耐性があると、面白くないどころかシラけてしまうという点だ。
重複列挙の「裏切りで笑いを誘う」という性質上、ベタになってしまった時点で致命的に思える。

しかし、救いは、まだ名称を与えられてベタであると社会的に認知されていない点だ。例えばノリツッコミはそういう流れをノリツッコミ呼ぶことにしようと広く知れ渡ってしまっているので、ノリツッコミをやると、はいはい、となってしまう。

さあ、いま彼/彼女は重複列挙という名称を与えられた。そう、僕は彼/彼女を潰しにかかったのだ。
僕がこの文章をはてなダイアリーなどというネット上あってなおも辺鄙な場所に書いたところで、重複列挙という名称が普及するとは思わない。しかし、僕が思いついたということは、日本各地で皆が気づき始めているということに他ならない。これからは彼/彼女の受難のときだろう。

だが、よく考えて欲しい。ベタもベタ過ぎれば笑いに昇華することができる。先程のノリツッコミはその好例である。
「そうそう、ここでフライパンを使って…てそんなわけあるかい!!」
期待させておいて、期待通りに進行する。これで笑いを取れてしまうのは、ギャグであるにも関わらず期待通りに進行してしまうことが、ある意味予想外なのだと解釈できよう。笑いというのがいかに微妙な駆け引きか考えさせられる。
話がそれたが、そう、彼/彼女がこれからたどるべき道は、受難を耐え忍んだ後の、ベタ過ぎの境地だろう。同じ道を辿ってきた無数のギャグ達が、笑いのフォーマットとして我々の共通認識に蓄積されており、私たちの言語生活を豊かにしている。

最後になったが、数年後、彼/彼女を利用することがあるとすれば、彼/彼女が中途半端にベタだった受難時代に彼/彼女を利用することで痛くなってしまった(そして結果として彼/彼女をフォーマットの境地に押し上げた)無数の人達に思いを馳せるとともに、彼/彼女がprimaryな意味で面白かった時代を偲んでみてほしい。