テスト前の部屋掃除としてのブログ

 テスト前になると、部屋の掃除をしたくなる。これはもう昔から学生という生き物の性分として決まっていることで、あの夏目漱石でさえも試験期間に入ると毎夜毎夜部屋の掃除および模様替えに忙しかったらしい。嘘である。

 吾輩は嘘つきである。

 今、僕はこのようにはてなダイアリーを更新しているが、これもテスト前の部屋掃除みたいなもので、書かなきゃいけないレポート、返信しなければいけないメール等が実はいま僕の目の前には積み上がっていて、そいつらをエイヤッと押しのけてこの文章を書いているのである。しかし、僕はあくまでこう言いたい。

 人生は、「死」というテスト前の、長い長い部屋の掃除である、と。

 ごめん、そこまでオオギョウじゃなくていいや。
 たとえば、テストが翌日に控えていて、それなのに勉強する気になれなくて、一晩中部屋の掃除をしてしまったとしますよね。そうしたときに、「テスト前なのに勉強できなかった」と考えるか、「テストのおかげで部屋がきれいになった」と考えるかは、本人の心持ちひとつだと思うのです。テストがあったおかげで、部屋がきれいになった、わあい。そういう愛すべき純粋さというか、馬鹿さ、っていうのは、磨いておきたいものだなあと思うわけです。
 それに、「勉強」なんて人生の大半を占める途方もない長期戦ですから、部屋の掃除ができた、みたいな結果もきちんと「勝ち」にして気持ちを盛り上げていかないと。テスト前だけ勉強すればいいってわけじゃないし。学生時代を大局的に見れば「テスト前」なんて期間は圧倒的に短くて、ほとんどが「それ以外」なんだから、「テスト前」ずっと部屋の掃除してても「それ以外」でそこそこ勉強すれば生き抜いていけるでしょう。あと、やっぱりみんなが頑張ってるときに自分も頑張る、っていうのはなんか、個性がないじゃないですか。みんなで山分けした「頑張り」より、一人だけで独占した「頑張り」のほうが分量多いに決まってるし。吉野家の味噌汁も、周りのおっさんが誰も注文してないときに、自分だけ注文して飲むのが一番美味しいわけで。みんなが注文してるときに頼むと、同じ金額払ってるはずなのにすごくシケた気持ちになるじゃない。

 すっごく共感されそうにない。

 まあ、なにが言いたいかというと、目の前のものから「逃げる」という作業から得られる経験値みたいなものを、大切にしていきたいな、っていう。目の前に何もないと「逃げる」ということすらしなくていいわけで、つまり「歩く」「立ち止まる」「寝る」ってなイメージなんですけど。それならいっそ逃げてみようよ、っていう、「逃げ」で鍛わる足腰もあるじゃない、っていうことです。

 あと、自分の代わりはいくらでもいる、っていう事実ね。俺が逃げても、他の誰かが立ち向かってくれるんですね。しかも、僕より強く、弱音を吐かず、強力な武器を持った人が。べつに謙遜じゃなくて、そういう「代替可能な人」の忙しさには何の価値もないと思っているので。だから、僕がいくら忙しくったって僕の忙しさにはなんの価値もない。そして、これを読んでいるほとんどすべてのあなたの場合も。弱音っていうのは、代替不可能な、その人じゃないとできないことをやろうとしている人だけの、専売特許ではないでしょうか。

 もうだいぶ、何を言ってるのか分からなくなってきてます。

 とりあえず、ここに上がる文章が日々の「逃げ」の産物であることは間違いないです。