弥栄!弥栄!晴れの交通事情

僕は夜もチャリは無灯火なんですね、率直に言って。
で、僕にも言い訳めいたものがあるわけです。僕は電球をちゃんと付け替えたの。でも、その日のうちにまた切れた。何度も付け替えるのがアホみたいになっちゃって。だからいまは切れた電球を付けて走ってるわけです。どうでもいいけど切れた電球ってホラーゲームのアイテムにありそう。
で、何周かクリアしたら「切れない電球」がもらえるかって、そうじゃないわけで。
ならCAT'S EYE(電池式のやつ)付けろ、って話ですが…小学校のとき友達がチャリでこけて、もう雨はどしゃ降りやわ、ヒザは擦りむくわ、CAT'S EYEは粉々になってドブに呑まれるわで、大変なことになったというエピソードがあって、CAT'S EYEはちょっと嫌だなあというわけでね。
ほんで、あの前輪で発電するやつはペダルがちょっと重くなるから、最近はもう電球が切れてることをこれ幸いという感じで、多少危なっかしいなあと自分でも思いながら、無灯火で運転してるわけです。

…という話からはじめて、今日は僕が交通について日々漫然と考えていることを、言葉にしてみようと思います。
交差点の横断歩道で青になるのを待ってるとき、まず自分の前を右から左に横切ってる道路の信号(A)が赤になって、そのあともしばらく自分の横を走っている道路の信号(B)も赤のままの状態が続きますよね。
で、普通はBが青になると同時に横断歩道の信号も青になるので、それから歩き始めるわけです。
でも、ときどきフライングで、Aが赤になったらもう歩き始める人がいますね。僕はやらないんですが…
あれって非難されるべき行為ではあるけど、合理的だと思うんですね。なぜかというと、横断歩道が青信号になるまで待ってると、同時にBも青になるから、自分の後ろから左折してくる車に轢かれちゃう可能性が出てくるわけです。それならばAとBの間に渡ってしまえば、そっちの方が安全なのではと思うのです。一時的歩車分離状態ですね。
もちろんAが赤になったあとに無視して飛び込んでくる車がない場合ですが…

で、別のエピソードを。
僕がルミエールからチャリで帰ってるときのこと、歩道に人が多いから、車道の右側の白線の外のところを走ってたんですね。そしたら前から「めっちゃいいチャリ」(MIC:僕は精一杯の皮肉を込めてこう呼ぶわけですが)に乗ったおじさんが走ってきて、僕を避けるんだと思ったら、おもむろにMICをとめて僕の前に立ち塞がるわけです。「逆走やろが!どけ!」みたいなことを言ってくるんですね。僕は重たい荷物を載せて重くなったチャリからいったんわざわざおりて、よっこらせとチャリを抱え上げて、歩道によけたのです。
もちろん、マナー的には左側を通るものなのでしょう。異論ありません。でも人間そんな杓子定規に生きてるわけではないでしょう。

「チャリの分際で何が逆走や!!大袈裟なんじゃ!!」

これが率直な気持ちです。ここにきてギアも付いてないような一番安いママチャリに乗っている人間と、MICに乗っている人間との、自転車に対する価値観の違いが露わになるわけです。

僕はいわば社会によってチャリに乗らされている。できることなら家でゴロゴロしたい。でも僕にはチャリに乗らなければ間に合わない用事がある。そういう受動的な態度で日々チャリに乗っているわけです。だからこそ電球もきれてるしタイヤもフニフニのまま走ってるわけです。こういう状態を「チャリに乗っている」といいます。

ではさっきのオヤジはどうか。外からは目が見えない虹色で流線型のサングラスをかけ、それに負けじと流線型のヘルメットをかぶり、太ももまでしかないピチピチのズボンと、逆三角形の体系を演出する、側面に白の縦筋が入ったピチピチのウェアを身にまとい、ハンズかどっかで買ったNORTH FACEのリュックを颯爽と肩にかけ、オシャレな口飲みできる水筒にポカリかなんかをつくっていれて、玄関を出たわけです。
そしてガレージにはピカピカに磨き上げられた自慢のMIC。そいつにまたがり、ロックチェーンをタスキにかけて、今日も風を切る。キマっています。まさに僕とは大違い、積極的に自転車に乗る人たちの典型像です。こういう状態を何というか。
「チャリにノッている」といいます。

僕は今回の事件の原因を、僕のマナー違反ということだけに求めたくはないのです。
「チャリに乗っている人間」と「チャリにノッている人間」との間に存在する価値観の相違、これが今回の事件の真相であると、声を大にして言いたいのです。