学びたがり人間

 ジグソーパズルを買った。

 僕の大好きな映画に、エッシャーの『無限階段』のジグソーパズルを解くシーンがあって、その映画は折にふれてもう何度も観ているので、頭のどこかでジグソーを解きたい欲求は常にあったのだ。だが、ジグソーパズルというのは、考えてみると、圧倒的に、なきゃないでいいものではないか。だいいち、せっかく複製技術が発達しまくった現在、なにが悲しくて粉々に砕かれた絵画を買い、えっちらおっちら組み立てるのか。ましてや、そうしないと手に入らないものでもなんでもない。買うときに、既に箱には綺麗な完成図が描かれているではないか。それを見ればいい。なんならそれを拡大して、額縁に入れて飾ってもいい。
 もし戦争が始まって、わけあって国内工場のいずれかをストップさせなければならない場合、大統領は真っ先にジグソーパズルの生産ラインをストップするかもしれない。「一回出来上がったものをバラバラにしてまた組み立てる暇があったら、戦争しよーぜ!」という理屈である。

 だが、人間、そんなにタンジュンなものであろうか。

 たしかに、ジグソーパズルはそれ自体、不毛だ。現代における不毛さの象徴と言ってもいい。では、ジグソーパズルをやっている人間はどうか。そいつは、何かを学んでいるだろうか。否、ジグソーパズルをやるような人間は、ジグソーパズルから何かを学ぼうなんてことは考えないはずである。

 賢い人間というのは、何をしていても、学びたがると思う。人と話をしていてもそこから何かを学びたがるし、休みの日に一日家でごろごろ、なんてことは到底していられない。まず人と会いたい、そして出歩きたい、美術館や街中、本屋に行かなきゃ気が済まない。
 僕はそのような人間を、「学びたがり人間」と命名しました。そして、人は、放っておくと自然と学びたがる。今日という日の意味を求めて、それを探り当てないと、自分の存在の意味さえも、失ったように思えるからだ。

 例をあげてみたい。ソーシャルランチ。ソーシャルランチとは……あ、せっかくこのブログはポチっと押したら説明に飛ぶみたいだから、そっちを見てみてくださいな。一応トップページの文言を引用してみる。

ソーシャルランチとは、毎日のランチを価値ある時間に変えるサービスです。普段の仲間とペアで、社外の人とランチして新しい発見を体験しましょう。


 おええええ。これはまさに、「学びたがり人間」のためのシステムであると言えよう。「どうせ飯を食うならさ、なんか、学びたいよね」。

 なんつーか、あからさまではないでしょうか。

 たしかに、何かを学ぶっていうのは、立派なことだと思うのです。推奨されてしかるべきだし、僕だって学びたい。学んで学んで、成長したいですよ。
 ただ、電車の中で菓子パンをほおばってる人間が下品なように、普段のさりげない日常や会話の中で「学んでやる汁」が滴ってる人間も、そーとー、下品だと思うのです。
 学ぶっていうのは、誰もが欲してることだし、大切なこと。「俺は一切、何も学ばないぜ。ノーフューチャー!」みたいな人間はほとんどいない。
 ご飯を食べるのは大切、でも、いつでもどこでもモグモグしてたら、みっともないでしょう。それと同じで、学ぶっていうのも時と場面を選ぶ必要があるのではないでしょうか。
 で、僕みたいな人間は、ランチ中は、学びたくないんですね。だって、何も学ばない時間っていうのは、本当に貴重なんですよ。ケータイいじれば、テレビをつければ、雑誌をめくれば、一歩街へ出れば、すごい量の情報が、飛び交ってますから。学ばざるを、得ないですよ。あきらかに許容量を超えた、整理しきれない教材が、ひしめきあってますよ、世の中には。大学もあるし。
 僕はゲームが好きなんですけど、ゲームだってここ数年、脳トレすごいじゃないですか。ゲームしている時間まで、「学べ、成長せよ」ってことですよ。あのねえ、こちとら、日々迫り来る「学べ! 俺を学べ!」という主張から逃げてこっち来てんだよ、っていう。ゲームしてるときまで、学びたくないですよ。切実に、憎いですよ、あのポリゴン化された、どっかの大学の教授の顔が。
 だから、ランチ中は、これ美味しいね、とか、最近実家の妹がさあ、とか、そういう無意味な会話を、ざっくばらんと、のんびり、したいものです。というか、僕は、正直なにも喋らなくていいです。一人でもくもくと、「おいしい」だけで脳みそを100パーセント充填させたい。ソーシャルランチのいう、「価値ある時間」ってのが、分からないね、僕には。


 「ジグソーパズルをやるような人間は、ジグソーパズルに意味なんて求めない」とさっき書いたけど、あれは間違っているかもしれない。ジグソーパズルやってても、賢い人は、意味を見出しますね、必ず。終わってみれば「空間把握能力が鍛わった」とか言いだしますよ、あいつら。だって「学びたがり人間」ですから。それ聞いて俺は、「そーゆーことじゃ、ないんだよなあああああ」って身もだえするわけです。意味、見出しちゃったあああ、っていう。現代のやまいだあああ、なんつって。もういいね。しつこいね。やめにします。でもね、ほんと、そんなに学んで何になりたいの? って思ってます。というお話でした。