お金とは、時間を買うためのもの也

 なんとなくタイトルに書いてみたが、お金で時間を買う、という行為には二種類あるだろう。まず、僕がゲームソフトを買ったり、ディズニーランドに行ったりするときに払うお金、これは「直接的に」楽しい時間を買うお金である。みなさんもこちらを想像したのではあるまいか。でも、一方で、今日の僕のように、溜まりに溜まった洗濯物をトランク2つ分抱えてコインランドリーに持って行く、このような行為も、「間接的に」楽しい時間をお金で買うという行為ではないか、と思うのだ。
 それにより、今日の僕は膨大な量の洗濯という痛苦な時間から解放されて、比較的幸せな、家でゴロゴロしたり、こうしてブログを書いたり、という時間を「買って」いる。
 世の中に対して言いたいのは、どうも前者の「直接的幸せ」ばかりが重要視され、後者のような「間接的幸せ」が見過ごされてやいませんかい?ということだ。むしろ、「間接的幸せ」にお金を払うことは、自堕落とまで思われがちである。スーパーより50円高いミネラルウォーターを、家の前の自販機で買う、これはまさしく「間接的幸せ」であるが、これなんかは圧倒的に非難される。「間接的幸福主義者」の僕が声高に主張したいのは、「間接的幸せ=消極的幸せ、ではない!」ということなのである。僕は、言ってみれば「間接的積極的幸福主義者」なのであって、間接的かつ多層的な幸福を追求することによって、毎日平均して人よりおよそ2000倍の「幸せ」を享受している、というカリフォルニア大学のデータもあるくらいだ。ない。
 いま、この文章はコインランドリーで書いているのだが、スライド式のガラス戸の外は小さな四つ角になっていて、ここは23区外の田舎なのでたまに寂れたおっさんや自家用車が通る。で、さっきから三回連続で四角い車(おそらく日産のキューブ)が通っているのだが、あれ、当たったらそーとー痛いと思いませんか。僕は車のよしあしについて考えるさいは「撥ねられたら痛いかどうか」が重要な判断要素なんですけど、乗用車で一番恐怖心を煽るのは日産のキューブですね、間違いなく。あの角っこが「バーン」つって当たったら、そーとー痛いですよ。撥ねたほうも撥ねられたほうも、億単位の慰謝料を動かしながら思うことはただ一つ、「角さえ鈍角であれば……」でしょう。「日産ならノートかマーチにしておけば……」でしょう。僕全然車詳しくないんで日産のホームページ見ながら書いてます。堪忍な!

 ここまで書いてる間に、選挙カーのお姉さんに可哀想な人を見る目でガン見さたり、見知らぬ老人に「おい若者、その機械で一体なにをしているのかね」と話しかけられたりしてだいぶ思考がブレているのだが、雲一つない快晴の土曜日のお昼に、コインランドリーで洗濯物の出来上がりを待つ、この時間を買う甘美さよ。僕の隣では巨大な乾燥機が一生懸命回転しているよ。お父さん、お母さん、息子は東京で、何のためらいもなく時間をお金で買える、立派な大人になりましたよ! こんな時間が1000円ぽっきりなのだから、日本に生まれて、よかったーーーーー! 霊長類なめんな!