怖いですねえ、恐ろしいですねえ

 日本の若者の邦画離れが進んでいます。なんてね。
 ためしに「邦画離れ」で検索してみたら、むしろ昨今は「洋画離れ」のほうが進んでいるらしいです。一方から「離れ」たらもう一方には「寄る」と思うので、邦画は「寄り」なんでしょうね。

 日本人の、邦画「寄り」。

 「映画離れ」「映画館離れ」「娯楽離れ」なんてことも小耳に挟みますが、まあ、それでも映画を娯楽にしている人は多いと思います。日本人はそれだけいろんなものから「離れ」て一体どこに「寄って」いってるんだ、というような苦言は、他のチテキな方にお譲りします。

 さてみなさん。映画は好きですか。
 今日は個人的な映画の話をしますので、映画に興味がない人はいつにもまして読まなくていいと思います。
 僕は高校時代、美術予備校に通っていて、そのころは映像表現にとても興味があったので、今よりいろんな映画を観た記憶があります。こういう話をすると、まったく高校の勉強をしていなかったのがバレますね。あの頃観た映画の中で一番印象に残っているのは、矢崎仁司監督の作品です。『ストロベリーショートケイクス』を初めて観たときの衝撃は、女優・中村優子インパクトとともに覚えています。だからといって、その周辺にあった気がする西川美和はあまり好きになれず、そして園子温もダメでした。今観たら違うのかもしれない、観ないけど。
 でもけっきょく、その後観ていったのは矢崎監督のようなものでもなく、映像として観たときに一番好きなのは中島哲也で、演出やストーリーをみていったときには三谷幸喜松尾スズキ三木聡なんかが好きだったので、映画はどちらかというと芸術性を高めたものより、コント的なエンターテインメントのほうが自分に合ってるな、という気がしています。良い意味で、ですよ。
 邦画の話をしているときにあれなんですけど、僕は好きな海外の映画監督をあげるとなるとフランスのジャン・ピエール=ジュネとアメリカのファレリー兄弟なんですが、この二組の対比っていうのも僕の中で「映像」と「演出」っていうふうに特徴が別れていて。ジャンジュネの映像美なんかは中島哲也監督と非常に被るものがあると、勝手に思っています。邦画、とくに比較的低予算なものって、どちらかというと淡い色使いが多様されてる気がするんですけど、ジャンジュネも中島も色のコントラストが異常に高い。そうするとワンカットワンカットが絵画のように映えるんです。もちろん、両監督はご自身の「色」が映えるものこそを題材に選んでいるんでしょうけど。
 
 おい、今日のブログは書いていて非常に面白いぞ。

 昔の、いわゆる「名画」と言われる、白黒の映画っていうのはあまり観たことがなくて、いつか観たら新しい発見がありそうだなあと思うし、そんなのちゃっちゃと借りてきて観ればいいんだろうけど、やはり読むものや観るものって自分史の文脈に合わせて選ばないと、自分が一番困惑しちゃうということを常に考えているのです。
 映画の話からちょっと離れますね。大学生をしていると、周りによく「多読」「乱読」を勧めてくる大人がいるんですけど、僕にはそれはできません。とかいうと偉そうですけど、自分が読むべき本は自分しか分からない、っていうのがポリシーなのです。一冊の本を読み終わって、さて次はどれを読もう、っていうときに、今の自分の状態を考えると「あ、次のタイミングで読む本は慎重に選ばないと」っていうとき、ないですか? こういうことばっかり言ってるから青くさいと思われるんでしょうけど。そういうときは毎日本屋に通って、慎重に本を選びます。で、やっぱりそんなものはなかなか見つからないので、過去に読んだ好きな本をまた読み返す、っていう。だから同じものを何度も何度も読んじゃうんですけど。でも、何かを読むっていうのは確実に、その本の内容に影響を受けるということなので、たとえ内容が面白いって分かってても、というか面白いものであればあるほど、「今じゃない」と思って後回しにしてしまったりするのです。ワンピースなんて、2億も3億も売れてる漫画、一回読んだらもう十年間くらい脳内ワンピースだけで満足しちゃいそうだし。そういうの、やっぱり遠慮しちゃうのです。

 言っててよくわかんなくなってきた。