嘘をつくときにまばたきが多くなる、という嘘

 嘘つきはどろぼうのはじまり、ということわざがある。

 たしかに、嘘をたくさんついていくうちに、嘘をつくことに罪悪感が伴わないようになると、盗みをはたらいても罪悪感を持たなくなってしまうかもしれない。多分そんな意味だと思うが、ちょっと待て。

 なんで嘘って「つく」なの。

 びっくりしたでしょう。ことわざに対する文句を言うのかと思ったら、嘘ってなんで「つく」なの、などとあらぬ方向に話をころがしたから。無邪気でしょ。こども心を忘れてないでしょ。無邪気でこども心を忘れてないんですよ、僕は。

 で、なんで「つく」なの。

 他に、口から発するもので「つく」がつくのはなにかあるっけ。あ、息を「つく」とかあるか。痛いところを「つく」の「つく」は、この「つく」ですかね。ってことは、心臓とか相手の弱いところをブスリと「突く」っていう「つく」とはまた別なんでしょうか。ツクツクボーシ!(面倒くさくなった)

 でね、今回書きたいのは「つく」の話じゃないんです。

 「嘘をつくときにまばたきが多くなる」というような、「嘘をつくと癖が出る」というタイプの嘘を上手く利用している人が、この世に少なからず存在するのではないか、という、これまで誰からもなされてこなかった指摘を、今日、このブログで行おうと思ったんですよ(小声)。

 われわれ、生きていると嘘をつかなければならないときがあるじゃないですか。例えば、デートで異性から「楽しいね!」って同意を求められたとき、正直に「きもてぃわるい」と言えない日がある。このとき、「きもてぃわるい」って言えない心理には、大きく分けて二つの理由があると思うんです。一つは、相手を傷つけたくない、という心理。もう一つは、こういう場面で正直に「きもてぃわるい」と言うような、空気の読めない奴だと思われたくない、という心理です。僕が思うに、人々が嘘をつくのは、主に利己的な、後者の考えが大きいのであります。
 ここで思い出してほしいのが、「嘘をつくときまばたきが多くなる」という嘘です。この嘘は、つまり、「嘘をつくときには故意にまばたきを多くしよう」とすることです。別に「自分、嘘をつくとまばたきが多くなっちゃうんだ〜」と公言することではありませんので、注意してください。むしろ、相手に「あ、この人嘘をつくときまばたきが多くなるんだ」とこっそり気付かせることが重要なのです。
 こうすると、相手のことを傷つける意思がないことを明確にしながら、つまり口では「気遣いの嘘」を言いながら、なおかつまばたきを増やして「自分は嘘をついている」と示すことで、本当の気持ちを伝えることができます。
 これはかなり便利です。さらに、こうすることによって、相手はこちらに対して「私はこの人の嘘を見抜くことができる」と、優位な立場に立った錯覚をしている状態になります。そうすると、相手はあえて嘘をついたこちらの思いやりを感じ、傷つくことも少なくなるし、さらに、嘘をついているこちらに対して「思いやりで嘘をついてくれているんだ」と愛着すら感じるかもしれません。
 まあ、以上が「嘘をつくときにまばたきが多くなる、という嘘」のおおまかな内容です。どうですか。言ってる意味分かりましたか。

 で、僕はこの手の嘘をつくことを推奨しているわけではありません。面白そうだけど、自分でやるつもりもありません。僕が警鐘を鳴らしたいのは、「この人が嘘をつくタイミングを私は見抜ける」と安易に思い込むのは危険、ということです。なぜか。もう皆さんお分かりでしょうけど、この手の嘘のすごいところは、「本当にバレたらまずい嘘をつくときにはまばたきの回数を増やさない」という戦法が使えるところなのです。

 分かっていただけたでしょうか。
 そして、僕は一体なにに対してこれほどまでに力説しているのでしょうか。