電池切れの脳みそ

 こんばんは。今日は日記っぽくいきます。

 今日は六本木ヒルズ森美術館に「会田誠展」を観に行ったあと、浅草のアサヒアートスクエアでシメオン・テン・ホルト作曲『カント・オスティナート』の日本初演に行ってきました。

 会田誠展は二回目ということもあり、前回からインタビューや美手帖の特集をみたりしていたので、前回より色々考えながら見ることができました。
 カント・オスティナートは、実際に生の演奏が聴けて、すごくよかった。二時間演奏し続ける演奏家の技術と集中力もさることながら、照明がフランス人の方で、会場の雰囲気がすごくよかったです。

 今日はもう、いろいろとやりきった感があって、もう、へろへろなので、書くことがないです。

 あと、いまちょっと頭が痛いです。どうでもいいですね。

 緊急事態です。なので、転載します。フェイスブックに、以前書いたエッセイ的なものです。今日はこれで字数を稼ぎます!


 ドラえもんの声で「きゃりーぱみゅぱみゅ」って言ってみて。
 突然そのようなことを言われたら、あなたはどうするだろうか。
ドラえもんの声で言ったら、言いやすいの。ねえ、言ってみて」
 困惑するあなたの瞳をまっすぐに見つめて、彼女はなおも続ける。
「ねえ。きゃりーぱみゅぱみゅー、って。言ってよ。ドラえもんの声で。ねえ!」

 ここには様々な問題点が含まれている。

 まず、「きゃりーぱみゅぱみゅ」などというふざけた語感の言葉を自分の口から発することに、かなりの抵抗がある。ふつう、名前というのは「大久保利通」とか「森田一義」とか「トム・クルーズ」とか、とにかくこの世に生まれた感謝を少なからず内包したような、「生まれてきたからには頑張るっす」という意気込みが、多少なりとも感じられるものである。ところが、だ。なんなんだ「きゃりーぱみゅぱみゅ」って。可愛いな。
 さらに、ここで重要なのは、「きゃりーぱみゅぱみゅ」とドラえもんの声で言うということは、ドラえもんのものまねをしなければならない、ということである。「きゃりーぱみゅぱみゅ」と言うだけでも辛いのに、なおかつドラえもんのものまねをやってみせろ、というのだから、事態はかなり深刻である。もし「きゃりーぱみゅぱみゅ」とドラえもんの声で言ったとしても、噛まずに言えたかどうかはともかくとして、「ドラえもんに似てない」という別の問題が発生しかねない。「それ、亀井静香だよね?」そんなことを言われてしまう可能性もある。次の日からあだ名が「しずかちゃん」になってしまった、なんてことにもなりかねない。
 あと、ドラえもんの声で言うから言いやすいのではなくて、ゆっくり言うから言いやすいだけだ、という根本的なところも指摘しておきたい。ためしに「過去をかってに変えるのはいけないことなんだぞ! きゃりーぱみゅぱみゅ!」とドラえもんの声で言ってみてほしい。恐らく言えない。むしろドラえもんの部分が邪魔をして言いにくい。ドラえもんだって、いつもゆっくり話すわけではない。ロボットだって泣いたり怒ったりして、早口になってしまうことがあるのだ。ひみつ道具を取り出すときに一字一句をゆっくりはっきり発音するのは、何という名前の道具なのか、泣きじゃくるのび太くんにきちんと伝える必要があるからだ。その言い方で「きゃりーぱみゅぱみゅ」と言えば、それは言いやすいに決まっている。
 だから、もし商談とかで「きゃりーぱみゅぱみゅ」と噛まずに言いたいときは、ただシンプルに一字一句をゆっくりはっきり発音するように心がければいい、ということです。ところで、きゃりーぱみゅぱみゅ可愛いですよね(ドラえもんの声で)!

 どうでしょう。面白い面白くないの前に、まあ、あらためて過去の自分の文章を読むと、意味がよく分からないですね。そんなもんでしょう。ということで、寝ます!