犬と子供にふれあって

あけましておめでとうございます。

さて、前回の記事のあと、僕は地元・福岡に帰ってきました。ここ福岡での出来事は基本、家族や親族のみなさまからの「ちやほやされ」で構成されているので、いつものノリでブログを書くと、どうしても「ちやほやしてくださっている方々の悪口」みたくなってしまいます。で、僕はそれは嫌なのです。だって、僕、好きです、みんなのこと。でも、書いちゃう。

ボーリングに行ったのです。したら、隣のレーンがもう、超ヤバかった、っす。超、ヤンキー、っす。来ていきなり、店員に切れてたっすから、「一人1レーンよこせ」つって。で、他のレーンも、なんというか、「えっ?」っていうヤンキーが、わんさかいるんですね。ピッチピチのタイツみたいなの、何人も履いてたっすけど、流行ってるんですか、福岡のヤンキーの間では。あと、氣志團みたいな髪型の人が、本当にごろごろいて、うわあ、って思う。
で、隣のレーンのヤンキーのひとりが、身長150cmくらいなんだけど、もう、髪型が、とても今の日本語では形容しきれないような、ものすごく大雑把にいうと「金色のビート板」みたいな髪型なの。で、下はピッチピチのタイツ(黒)みたいな服で、上がまた黒でなぜか金色で「トヨタ自動車」と書かれたピチッとした服なの。んでさ、なんだろう、彼の中の「かっこよさ」なのかな、ボーリングってピンを運んでくれる機械あるじゃん、バーみたいなやつ。あれがまだ作業してるときに投げるのね、で、あれが上がり切った瞬間に、ボールがピンを倒すんだけど。そこの「ぎりぎりの美学」っていうんですかね、「ピンを運ぶ機械? 壊してなんぼ!」みたいな男気? そこを追求していらっしゃって、見ていて悲しかったです。どうせボーリングくらいしか遊ぶ場所ないんだから、せめて壊さずに遊んだ方がいいと思うんだけどな。

あと、ヤンキーはとにかくボールをスピンさせるね。異常に。

さっきのビート板も、猿のように飛び跳ねながら投球するんだけど、投げる瞬間は全身を使って体をひねりながら両手で「ギュワン」と投げてて、スコアがどうとかいう以前に「スピンする球体のかっこよさ」みたいなものに恍惚とする人間の「投げ」っていう感じがする。田舎のヤンキーの「ボーリングの球のスピンさせたさ」は、僕は中学生のころから疑問に思っているのだけれど、誰か解明してくれませんか。僕の予想では、彼らは「転がる球体が急に曲がる」という見た目が好きなんだと思います。それか、福岡のヤンキーの間では、先輩から後輩に「スピン投げ」を継承していってる気もします。見た感じ。ボーリングが貴重な遊び場であるヤンキーにとって、真面目にストレートを投げるボーリングなぞ楽しみ方としては「初心者」なのでありましょう。彼らはボーリングにこなれすぎて、「いかに球をスピンさせるか」という楽しみ方ができる地点に到着したのでしょう。

あと、今日、父方のおばあちゃんに大学の写真を見せていたら、僕の金髪の写真をみたおばあちゃんに「こういうのは、若い頃にみんな一度はかかる"はしか"みたいなもの」と言われて、つい大人気なく「おばあちゃんはずっとパーマかけてるよねー」と言ってしまいました。
僕はときおり人の発言について「それは間違いだ」と糾弾することがありますが、「間違いを正したあとの人生」が短い人の間違いを正すことはきっとむしろ不親切なんだろうなあと思うので、すぐさま反論をやめました。
年長の人と話しをするときに辛いのは、影響を「受ける」ことはできても「与える」ことはできないことですな。ほとんどの老人にとって、近づいてくる死を感じる時に一番心を安堵させてくれるのは、「自分はこの世を理解した」という誤解だと思うのです。考え方を固定すること、っていうか。たとえば80歳になってなお「他人の意見に耳を傾ける」っていうのは、納得のしようによっては80年間生きてきた過去をまるまる否定する立場をとらせざるを得なくなる可能性をはらんでいるわけで、そりゃあ、「正しさ」なんて二の次だよ、っていう気がします。

あと、動物と子どもが嫌いだ、という主張をなんとか誤解なく受け入れてもらいたいんですけど、今日はもう眠いのでまた明日にします。これだけは先取りして言っておきたいけど、動物好きな人、または子ども好きな人よ。あなたたちが動物好き・子ども好きの話題を始めるたびに、こっちはビクビクしてるんだからな、動物嫌い・子ども嫌いがバレて「無慈悲な人間」の烙印を押されることに!!

何度呼んでもこっちに来ない犬をこっちに呼ぶときの「おいで、⚪⚪ちゃん、おいでー!」っていう「情緒」みたいなものを含んだ言葉が、ほんとおおおに無駄だと思うんですわあああ。
あとワンワン吠えてうるさい犬を叱るときの人間の怒鳴り声も、すごく無駄。

もう、こういうのにかんしてはまた今度新しく書くわよう。

もう寝る。おやすみ。