三十代だっておしゃべり

 みなさんこんにちは。今日はささっといきますよ。

 昨日こちらに書いたLINEのIDですが、「見つかんないよ」という指摘をいただきました。正しくは、mirabakesso411でした。まあ、そういう私的なことをこんなところで伝えるなっていう話ですが、なんとなく昨日流れで間違ったことを書いてしまって、訂正しないのもアレなので、もういちどここに書かせていただきましたー。

 あ、SNSつながりで、ツイッターの話をしましょう。みなさんツイッターってやっていますか。

 ツイッターは、楽で良いですよね。僕もやってます。

 ツイッターは見るのもつぶやくのも楽しいんだけど、あればっかりやっていてはいかんな、という気持ちはありますね。 
 これはもう、本当に、自分への戒めなんですけど。ツイッターって一回の投稿の制限字数が140字で、ああいういわば「言葉の彫刻刀」を持ち出して言論の世界に立ち向かっていこう、みたいな青臭さは、正直あると思います、一部の語りたがりの人たちに関しては。オトナに対抗して彫刻刀を振りまわす、思春期の中学生のような。でまあ、僕みたいな大学生とかは、彫刻刀すらうまく扱えませんから、ツイッターでもいい勉強になる、とは思うのですが、ひたすら彫刻刀の扱いばかりが上手くなった三十代、みたいな人たちのとめどなく流れてくるツイートを見ていると、しかもそれが既婚だったり子持ちだったりすると、なんだか情けない思いがするというか、違うな、それはそれで何も刀を扱えないよりずっと素敵なんでしょうが、大人なんだからもうちょっと刃渡りの長いものを使えよ、とは思います。

 偉そうなことを語ってしまった。そういうお前は三十代で何になろうとしてるんだ、という話ですよね。分かんないっす!

 ただ、最近思うのは、過去に語ったことがあとで振り返って恥ずかしくなるのは、自分が成長したということともう一つ、時代が変わった、ということは多分にありますよね。だから、ある程度ちゃんとした形で残るものに自分の思考を蒸着させないと、自分の成長についてきちんと反省することもできないんじゃないかなあというか、ツイッターっていうツールはその「形式」自体が古びた時に「過去の時代」と「過去の自分」のどちらがダサいのか見極められなくなっちゃうんじゃないか、という勝手な不安はあります。

 ちょっと、オードリーのANN聴きながら書いてるので何言ってるのかわからないと思いますが、僕も分からないので安心してください。