猫・猫・猫!

 人に言って楽しいことと、自分で思ってて楽しいことの区別を、きちんと付けなければならない。思ったことを全て言って、楽しくなれるほど、能天気な性格ではない。

 今日は、猫喫茶に行った。猫と、たくさんふれ合った。かがんだ僕の背中に猫が乗ってきて、なかなか降りてくれないので、まるで先日甥っ子をあやしたように(家族! - ウエダ・タゴモのユニバーサルライブ参照!)猫を背中にのせてお馬さんごっこ的な感じで歩いていたのだが、次第に腕が疲れて、その場にうつぶせで寝転がったりしていて、後から考えるといくら猫喫茶でもそのような体勢をとっていた者は他におらず、僕は実は恥ずかしいことをしていたのではないかと、帰宅後に恥ずかしくなってきた。いや、僕は恥ずかしくないのだが、一緒に行った僕の友人が、周りのお客さんから奇異の目で見られて嫌だったのではないか、と反省している。

 猫、可愛かった。

 あの、あちらからは関心のない感じが、いいですね、猫は。こっちが気が向いたときだけちょっかい出して、無視されて、みたいな感じが。

 あと、猫のゲロ吐きの瞬間を、目撃しました。

 猫の嘔吐も、人間の嘔吐と同じく、こう、首がクイッと前に出てきて、ちゃんと「オエッ」って顔をして吐くんだね。でも、人間と違うのは、吐いた後の顔が、人間だったら吐いちゃったことへのリアクションを、多少なりともやるじゃないですか。気まずい顔だったり、渋い顔だったり。そのてん猫は、吐いても自分のゲロには何の関心も示さず、「で?」みたいな顔で、颯爽と去って行きましたね。ほんと、かっけええ、って、思ったよ。あれはもう、「吐き逃げ」だね。

 吐き逃げといえば、このまえ大学の食堂で友達とご飯を食べていたら、飲んでたお茶を目の前の窓ガラスに思いきり吹き出した女性がいて、大変そうだった。僕たちは彼女のうしろに座っていて、他の人にも直接の被害はなかったんだけど、なにせ彼女は全面ガラス張りと向かい合った場所に座っていたので、ガラスはびしょ濡れになって、なおかつそれが食堂の中の人にも外の人にも見られるっていう、地獄のような状態だった。で、その女性は男性と二人でご飯を食べていたらしく、隣に座っていた男性が拭いたり片づけたりしてたわけですが、とても真面目そうで、彼女を気遣いながら、ときおり「大丈夫?」なんて言いながらも黙々と作業していて、かっこいいなあと思いました。

 僕だったら、多分、フッと笑っちゃいます。

 そして相手に対しても、勝手かもしれませんが、そういう状況におちいったとき、自分を笑える人っていうのが、希望です。

 だって、お茶を吹き出したのは、可哀想だけど、自分の責任でしょう、泣いても笑っても。さすがに、大勢が見てる前でお茶を吹き出して、しかもそのお茶がかかった窓ガラス全面が日光でキラキラ輝く、みたいな屈辱的な場面で「自分を笑える」なんていう強靭なハートを持った人はそういない、とは分かります。ただ、そこで泣いたり慌てたりやたら饒舌になったりっていうのは、無駄な抵抗だと思うのですね。あ、ゲラゲラ笑いだしたらさすがに僕も引きますよ、そうじゃなくて、「なんか面白いことがおきた」みたいな半笑いっていうか、「今のはとりあえず“笑いの神様”のせい」みたいな「余裕」っていうんですかね、そういうものを持っている人とは一緒にいてラクだし楽しいなあ、と思います。
 同じように、「急な大雨に本気で怒る」みたいなのもかっこ悪いですよね。われわれの身にふりかかる不幸は、ほとんどの場合、自業自得ですから。「出掛ける前に天気予報見なかった自分」「折りたたみ傘を持ってなかった自分」「雨の恵みで暮らしてる自分」みたいなものを全部脇にどけて、めたくそに雨を憎めるほど、えらかないですよ。

 話がだいぶそれましたが、そんな感じで。寝よう。