お腹がすいた、です。

 「最近ブログの記事が雑になってないか」というご指摘をもらった。
 読んでくれている人がいる、という喜び。噛みしめていきたいです。

 でも、ざんねんながら、これから大学のレポートを書かなければならない期間に入ってきて、それでもこのブログは書き続けるつもりですが、やはり多少は手抜きになってくると思うし、手抜きを書いても誰も困らないし、いままでも手抜きだったりする。

 ブログもレポートも、書くことが好きな僕としては、どちらも大切だ。そこで、それ以外の時間を、なるべく減らしていきたい、と思う。就職活動も始まり、もういろいろ(主に精神的に)限界がきているので、バイトを、やめようかな、と思う。上京して丸三年、素敵な女性たちに囲まれてやってきた、僕の性格にとても合っていたバイトで、嫌になったことは一度もなかったが、そろそろ潮時かもしれない。なんのために奨学金をもらってるのか、ということを考えると、そこまでお金に困っているわけではないので、いま時給1000円以下で働いてどうするんだ、という気持ちがある。別に将来高給取りになりたいわけではないが、二十歳で大学生の今を時間単位で切り売りするほど、自分を安く買ってはいない。

 あ、レポートのことを話すと、ちょっと最近このブログを更新しすぎていて、一回の文字数もそこそこあるので、レポート書くのが地味にしんどいです。文体も、主にこのブログで書いているような、「ですます」と「だである」が混在したものが身に染みている気がして。まあ、それは、このブログでは僕はあえてやってるんですけどね。「文体の統一」っていうのは、レポートみたいなわりとカチッとした文章では大切だと思うんですけど、こういう気の抜けた文をのっける場所では効果がない気がします。というか、むしろ逆効果ではないか、と。ていうのは、人間、いきなりハイテンションで話し始めないでしょ、いくら親しい間柄でも。そうじゃなくて、会って最初のうちはやはり探り合いが多少なりともあって、語りのなかで自分の話したいことを見つけて、そのときはテンションが上がるでしょ。同じなんですよ、文章を書くときも。いきなり「だである」でぶっきらぼうに始まって、感情の振れ幅もなく進んでいく文章は、こういうエッセイ風な文章としてはどうかなあ、と思うから。文章を書くときに、制約なんているかよ、っていうのは、小学校で「作文の書き方」を習った時からの疑問っすね。ほら、おれ、ロックなんで。

 ということで、手抜きの弁解を手抜き記事で書き上げたところで、今回は終わりにします。手抜きに手抜きが降り積もる、冬の夕刻。みなさまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

 今、弟からすごいドキュメンタリー風の文章が届いて、本当に彼は文章が上手いなあと思った(兄バカ)。