ICO

 ずっと進めてなかった『ICO』っつうゲームをやっとります。小柄な少年(運動神経いい)が、純白のお姉さん(運動音痴)の手を引いて、城から脱出するっていうゲームです。で、なにが楽しいって、このゲーム、めちゃ雰囲気がいいところなのです。世界観、っていうのかな。荘厳な感じがします。主人公の「体力」もなければ「レベル」という概念もない。音楽も、ただ、風の音とか、少年がお姉さんを「こっちだよ」と呼ぶ声(何やら得体の知れない言語)が響くのみ。敵も、影みたいな黒いのが数種類いるだけ。ひたすらなぞ解きをして、古く、そして美しい、岩だらけの城から脱出を試みます。

 で、いま偉そうに語りましたけど、僕このゲーム買ってからずーっとやってなかったのですね。僕はゲームは「好きだけど苦手」というタイプなので、なぞ解き系は「この部屋からどうやって次にいけばいいのか分からん」という状況に陥りがちで、案の定この『ICO』もプレイ時間わずか1時間半ほどで諦めていたのです。

 ところが先日、うちに遊びに来た友達に、『ICO』の楽しさをあらためて力説されて、それならやってみよう、ということになりました。それでこんな時間までゲームをする羽目に。あーあ。

 まだラスボスまでいってないですけど、もう、早くクリアしたいよ。閉塞感とか、切なさ、みたいなものが、しんどい。ゲームやりながら、胸が痛いの。
 普通、ゲームって、高いとこから落ちたりしても、なかなか死なないじゃない。マリオとかだったら、「オウッ!」みたいな威勢のいい声を出して少しダメージを受けるくらいなんだけど、ICOは高いところから落ちると、ビタッと着地して音もなく死、そして画面がサーッと赤くなるのです。

 超怖ええの。

 で、主人公の少年が死んだら、少年に先導されてたお姉さんも、死ぬじゃない、多分。先導してくれる人がいなくなるわけだから。ゲーム自体は主人公がビタッとなるといわゆる「GAME OVER」みたいになるわけだけど、そうなってしまったとき少年の死の悲しみとともに「残されたお姉さんがうろたえ、悲しみ、そしてゆっくりと衰弱して死んでしまう」ことを勝手に想像して、また胸が痛くなるのです。

 あ、そういえば、今日は晩ご飯を友達と食べました。サイゼリアで。久々に会った友達だったけど、友達はいつも通りハイテンションでした。学年が一つ下なので、成人式があった、と言っていました。彼と初めて会ったときは、彼は大学一年生でした。僕は大学二年生。それが、もう春からは三年生と四年生だなあって、話をしました。この調子だと、あっという間に結婚して子供ができて、みたいな話もしたな。お互いの子供にお年玉をあげよう、みたいな話が盛り上がりました。ワクワクするね、どんな人と結婚して、どんな子供が生まれて、そいつらがどんな風に育っていくんだろうね。お父さんになったときには、僕もさすがにこんなブログはやってないだろうね。お父さんが「揺れ動く自我」みたいなものと葛藤してたら、嫌だもんね。お父さんっていうのは、良くも悪くも、精神的支柱であり、がっしりしていたいよね。今のままじゃ子供ぐれちゃうよ。しっかりしないとな。

 さて、明日は吉祥寺に行って映画を観てきます。それから、えーと、他に何かあったかな。何もないな。眠いので、寝ます。