言い訳GENERATION

 また更新し損ねた。というか、昨日はめちゃ寝た。昨夜の20時ごろから、今日の11時まで、寝ていた。ふつう、20時に寝たら、24時頃に一回目が覚めるのに、今日は翌日の昼まで寝てしまった、ということになる。

 で、もう、発表のレジュメが今日中、後期授業のレポートが明後日までに、作って出さなければならないのに、まだ何もやっていない。それたごもり、こんなブログを書いている場合ではないよ、と思われるかもしれないが、そこは断固として、「否」と言いたいのである。否、他に書かなければならないことがあっても、ブログは書く。むしろ、他に書かなければならないことがあるから、このようなブログを書くのである。

 そう、以前、このブログに書いた記事を覚えているだろうか。テスト前の部屋掃除としてのブログと題した記事である。この記事の中で僕は、「人生は、『死』というテスト前の、長い長い部屋の掃除である」という名言を残した。つまり、人間は「死ぬ」ために生きているのではない、ということである。学生の時分でいうと、テストがあるから部屋の掃除をしたり、ポエムを書いたりするのであって、テストとは勉強をさせるためにあるというより、「普段だとしないけど、『テスト勉強』というさらに面倒くさいことがあるからやる『部屋の掃除』や『ポエムで青春を吐露』みたいなことをやらせるため」にあるのである。だから、大学生のレポートやテストというのも、まさにこのためにあると言えよう。
 一般的に、テスト前になればなるほど、胸のモヤモヤは膨らんでいき、その分部屋を綺麗にしたり、心情を吐露する文章を書きたくなるのである。これは、良い効果である。むしろ、テスト勉強をするより、はるかに人生は豊かになると思われる。

 以上のようなことを僕としては真面目に思うのであるが、こんなことを書いていては呆れられるだけだし、テストというのはテストの内容を勉強するためにあるのだと信じて疑わない方々をたくさん知っているので、もうこれ以上はやめようと思う。頭がおかしいと思われても困るし、これ以上詭弁を振り回していざ単位を落とした時に困るのは他ならぬ自分である。そして、誤解をされては困るので書いておくが、テストのことを全く意に介さないのでは、それはそれでダメなのである。むしろ、ある程度勉強ができて、努力を知っている人間でないと、その努力の面倒くささのようなものすら理解していなければ、今度はまた『部屋の掃除』『ポエムで青春を吐露』すらせずに、普通にゲーセンに行って筐体で遊んでしまうのである。僕が先ほどから書いているのは、あくまで「与えられた課題」と「自由への標榜」のせめぎあいのことなのである。

 おわかりいただけたであろうか。

 そして、僕の中で「そろそろ課題を書き始めないとヤバい感」が豊熟してきたので、今日はこのくらいにしておこうと思う。最近更新と文字数がおろそかになっているが、まあ、そういうときは過去の記事でも読んでみるといい。僕の文章はいつ読み返しても色あせない面白さがあると、評判である。