今回の記事は、数段低いレベルに降りて、議論してあげています。

 暇で、書くことないので、なにか書くことはないかと考えたあげく、今話題のAKBの峯岸みなみさんが坊主にしたことを書こうと決めた。で、問題の謝罪映像を探したが、もう消されていたらしく、観ることができなかった。

 言っておきたいが、こうやってAKBのことを書いているとき、僕は必ずゲロを吐きながら書いている。日々の「無駄」が折り重なって更新されていく、言いかえれば僕の「日常の澱」というようなこのブログも、「AKBのことを書く」みたいな「純度100パーセントの無駄」に字数を費やすのは、ものすごく辛いし、なんかプライドが傷つくのである。むろん、一人の女が坊主にしたところで、そこから体罰の問題や日本の文化の問題に切り込もう、みたいなつもりは、さらさらない。ただひたすらに、どうでもいい。今この文章を書いている間も、背中にめちゃくちゃ虫唾が走っている。動悸も半端ではない。嫌なんである。この、明日死ぬかもしれない僕の貴重な一文字一文字、一秒一秒が、「坊主にしたアイドル」をめぐるゴミみたいな議論の渦に巻き込まれていくことが、である。

 じゃあ、書くな。そんな声が聞こえる。いいか、よく聞くがよい。


 今日のこのブログの記事は、「一人の女、峯岸みなみの坊主騒動に費やされ、完全にゴミとなった、人類の文字、時間、記憶、その他もろもろへのレクイエム」なのである。


 AKBのこの構造は、秋元康が作ったものではなく、時代が作ったものだと思うのだが、AKBは肯定も否定も、全てをブラックホールのように飲みこんで、あらゆる「AKBに関する語り」を養分として成長している。そこがキモいのである。このブログも、語れば語るほどまんまと養分になっていくのであって、意を決して、帯を結び直し、「っしゃあ!!」と気合いを入れてAKBについて書き始めてみたものの、やっぱりこのブラックホールから上手く抜け出す方法が思いつかなくて、もうほとんど吸い込まれて、栄養にされてしまった。もう、本当に不愉快で、本当に腹が立つし、本当に、歯がゆい思いでいっぱいである。それが、さっきから僕がキーボードをゲロまみれにしている理由なのであって、体力をガンガン消耗していってめまいがしている理由なのである。


 おわかりいただけたであろうか。

 史上最大級に疲れたので、今日はもうこのへんにしておきます。