思い出浄化の法則

 昨日書いた記事、ちょっと偉そうすぎて、いまちらっと読み返してみて自分で自分に引きました。思ったことを書くのは勝手ですけど、勢い余ってドカドカと書いちゃうのはいけないなあと思いました。反省。

 ちょっと、今、相当眠たいので、さっきから書いては消し、書いては消ししてるんですけど、主語と述語で成り立つ一文が、ちゃんと書けないです。なんか、ねじれた文章ばかり書いては消し、を繰り返しています。やばいっす。ねーむいっす。
 さっき、風呂に入ってきたんですけど、僕、いつのまにか、お風呂に入ってる時間に「今日のブログ何を書こうかな」と考える癖ができてたみたいで、ハッとしました。風呂に入っているときくらい、何も考えたくないものですな。

 すいません、眠すぎてどうしようもないです。てか、別に誰に謝るわけでもないんだな、僕のブログが更新されなくても誰も困らないし。この謝りは、過去の自分と未来の自分に捧げます。



 おはようございます。朝になりました。

 いま、Facebookを見てみたら、高校時代にお世話になった先生がお亡くなりになったみたいで、まあそれは僕もちょっと前から知ってたんだけど、それについて同級生が「大好きな先生だった」「僕たちの同期は彼の言葉を大切にしたい」と書き綴っていて、つくづく思い出が美化されていくなあと、だいぶ不謹慎かつ縁を切られそうなことをぐるぐる考えていました。だって、覚えてないんだもん、その先生のこと。つーか、うちの高校、先生に対してまともに挨拶とか返事とかできる人たちじゃなかったし、みんな勉強はできるくせに、大人に対する態度とか、クラスでの協調性とか、皆無だったじゃない。それなのに、よく卒業してから手のひらを返したようにしょっちゅう母校に帰ったり、元担任団のひとたちに寄り添ったりできるなあ、と思うのね。同じクラスに、先生に対して暴言を吐くひとたちがいて、自分はリーダーぶってたくせにその生徒に注意もせず、ヘラヘラ見ているだけだった奴らが、卒業後に何食わぬ顔で先生たちに会って「お世話になりました」、みたいなの、嫌いなのよ。僕、顔向けできないもの。頭のおかしいクラスメイトに「死ね」だの「ブス」だの言われて激昂してた先生と、もう一度何食わぬ顔で「お久しぶりっす〜」って会うことなんてできないよ。だって、それを同じクラスにいて止めることができなかったっていうのは、共犯者でしょうよ。僕はもう、ものすごく嫌だったわけよ、それをヘラヘラした顔で眺めているクラスの人たちが。そして、それを止めることができなかった自分も、確実に「罪人」だと思っていたし、もう毎日毎日、学校行くのも嫌だし、友達いないし、それでこんな窮屈な人間になっちゃった感あるのよ。それなのに、もう卒業したらそういうのから解放されて、ただただ高校時代の三年間を「美しい思い出」にしちゃえるような潔さというか、白々しさ? ねえよそんなもの。

 ああ、多分伝わらないなあ、この感情は。どうせ「頭のおかしいやつ」「卑屈な人間」と思われて終わるんだろうな。友達も失って。もともといないけどさ。僕からしたらお前らのほうが百倍卑屈だわ、っていう感じなんですけどねー。ああ、自分のダメ人間さをまた思い出してしまった。