実家の犬

 正月実家に帰った時の実家の犬が凶暴で怖すぎて、その犬に腕を食いちぎられるという夢を今年にはいって早くも二回観た。もう、相当に憎い存在なのだが、そんな実家の犬(メス)名義で、バレンタインのチョコが届いたのは、昨日の話である。犯人、っていうか、それは失礼だな、本当の送り主は父親で、こういうユーモアは好きだし、チョコは普通に嬉しかったのだが、いかんせんこれまでの、犬にパジャマを食いちぎられたり、強引に顔面を舐められたりした思い出などが一気にフラッシュバックして、背筋が震えたのであった。
 この犬っていうのが、昨今のたごもり家において非常に厄介かつナイーブな存在で、僕が実家に帰るたびに、家庭内の空気がギクシャクする要因となっているのである。

 僕は、犬という生き物に「感情」とか「情緒」とか、そういうものを認めていない。人間の言葉を理解できるとも思っていない。正直、犬は好きじゃないのです。僕は昔、テレビ番組の『どうぶつ奇想天外』が好きだったけれど、あれはサバンナの動物たちの生態系みたいなものが好きだっただけなのです。昨今の、小動物が歩くたびに「モキュ、モキュ」と気味の悪い効果音を付けて、ワイプ内のベッキーがひたすら「かわいー!」と叫んでいるような、変態趣味の番組は好きではない。まあ、それはどうでもよいことだな。

 そんな僕であるから、実家の犬に対してもあまり興味がないし、触りたくないし、近づきたくない。別に、不潔だから触りたくない、っていうわけではない。というか、うちの実家の犬は、わりと清潔な犬だと思う。父親が綺麗好き、というのもありまして。とにかく、犬も別に僕に触られたくないし、僕も犬に触りたくない、これで生物同士のイーブンな関係が築けていると思うのです。で、それなのに父親は、時おり犬に対して「そうくんは? そうくん!」と謎の声かけをするのですね。あ、そうくん、っていうのは、僕のことなんですけど。すると犬は、なぜか僕の名前を知っているらしく、一目散に僕の元へ駆け寄ってきて、飛び跳ねながら僕にまとわりついてくるのです。


 こ・れ・が・う・ざ・い・の。


 毎回実家に帰省するたび、その「謎の時間」が何度か訪れるのです。おそらく父親としては、僕があまりに犬とふれあってないのを気にとめて、あえてそのような「ふれあいチャンス」を作ってくれてるような気がするのですね。その心がけは、まあ、嬉しいですよ。本当は、そのようなチャンスは要らないんですけど、一切。ただ、そのイベントの怖いのは、さすがに僕もそのように差し出されたチャンスを完全に無視することはできないので、「お、おう」みたいな感じで犬を受け入れはするのです。内心ドキドキですよ。噛まれたらどうしよう、って。すると、この時にさらに面倒なのが、僕もたまに危険を感じて「ちょ、ちょっとやめて」みたいに腕なり全身で犬をさえぎったりするわけですけど、下手に触ろうとすると父親から「いま触ったら怒るよ!!!」みたいな謎の怒りが、僕(犬じゃないよ、僕だよ?)に向けられる可能性があることです。


 なんで?


 って思いませんか。だって、僕は普通にテレビを観ていて、うしろで父親が「そうくん!」って言って、犬が僕のところにやってくるわけですよね。決して僕から行ってないわけですよ。それなのに、それを正当防衛気味に拒絶しようとしたら「危ないよ!!!」って怒られるのは僕なわけです。ただでさえ怖いのに、拒否もできず、もう僕はされるがままですよ。頭の中ではもう「……レイプ?」ってなってるわけです。

 で、そうなったあとの犬はだいたい興奮状態ですから、父親は犬に向かって「すわっれ!!!ここに、すわっれ!!!」と大声で怒鳴ってるわけですね、言うこと聞かないから。僕、人間の出す大きな声とかも嫌いなんですけど。で、「もうそんなことするならゲージッ!!」って、犬、めっちゃ怒られて、ゲージに幽閉されてるわけです。犬からしても、「あんたが『そうくん』って言うから、私はそうくんと遊んだだけじゃん!」みたいな感じだと思うのです。「?」みたいな顔をしてるわけですよ。

 で、そのあと訪れる空気がまた、ねえ。この、誰に悪意があったわけでもないのに、はかなく崩れ去ったコミュニケーション? とっても、せつないのよ。多分、父親の目には、「本当は犬と遊びたいのに、さみしそうにしているそうくん」みたく僕のことが映っているのだと思う。いやいや、そんなことないっす。確かに、小さい頃からぬいぐるみがやたら大好きだったし、小学生のころはペットを飼いたいと駄々をこねたこともあった。けど、いまやあなたの息子は、犬や猫や小さい子供を見ても「空気読めよな!」くらいにしか思わなくなってます。同じく動物や子供が嫌いな先輩は「あんなに可愛いルックスなのに、腹を破いたら生温かくて真っ赤な内臓が出てくるのが嫌」みたいなことをおっしゃっていましたが、僕はそれよりむしろあいつらの「ナチュラルな空気の読めなさ」みたいなものが純粋に嫌いなんだと思います。

 あ、でも最近猫は可愛く思えてきた。あいつら、たしかに脳みそないから空気は読めないけど、だからって何をするわけでもなく、ぼけーっとしてるので、人畜無害ですよね。可愛い。あれくらい自我がなさそうだと、安心して一緒にいられます。犬とか子供って、なまじ五感が発達してるから、意味もなく部屋の天井とか見つめて、気持ち悪いじゃないですか!