ドラえもん

 僕は昔から、早起きが苦手である。小さい子供って、日曜日の朝もアニメを観るために早起きする、などと聞くが、僕はアニメや特撮には一切興味がなかったので、日曜日であろうが朝はとにかく寝ていた。もし、日曜の朝にやっているようなテレビが好きな子供だったら、早起きも少しは得意になっていたかもしれないね、などという言い訳をして、親に呆れられたこともある。

 ウルトラマンやナントカライダーを、自分から観たことは一度もない。正直、あの手のものは今でも苦手だ。なんかダサいし、変身とかも嘘臭いし、そもそも「戦い」「勝負」というものが好きではないのである。しかも、どうせ主役のスーツ男が勝つし、昔から敵の怪獣が可哀想で仕方がなかった。怪獣って、最後「グワー」って言いながら、悲壮感出しながら死ぬでしょう。怪獣は怪獣なりにやりたいこととかあったのに、可哀想じゃない。生き物なんて、わけもなく生まれて、わけもなくあっけなく死ねたら、一番いいと思っている。怪獣、なんか意味があって生まれちゃってるからなー。

 そうそう、ウルトラマンとかに出てくる、ああいう怪獣の悲しいところは、なぜか「地球を油まみれにするため」とかわけのわからない理由で現れるでしょ。で、実はその怪獣っていうのは、油がないと生きていけない種族で、他の星で住めなくなって、仕方なく侵略してきた、みたいなこと言うじゃん。そんで結局、そこに目を付けた主役のスーツが、怪獣に表面活性剤かけて殺したりするでしょ? いや、ほんとにこういうストーリーがあったか知らないけど、だいたいこんな感じだよ多分。で、最後、「まあ、あいつはあいつなりの目的があったんだな……」みたいなことになって、終わる。正義の反対はもう一つの正義、みたいな? 煮え切らないことやってんじゃないよ、と思うのです。地球を油まみれにしなきゃ生きていけない者たちがいて、地球を油まみれにされたら生きていけない者たちがいる。それだけの話じゃないですか。「爆殺!」終了ですよ。なんか、「死んだやつ」を「自分史の物語のなかに吸収していく」のってめっちゃ残酷だと思うんだな。ましてや、殺した相手を。

 あと、死に及んでも「意味」を持っちゃうなんて、なんか、ダサくないですか。「死」って、死んだ本人にとっては重要かもしれないけど、残された世界にとってはあまり重要ではない気がするのですね。それなのに、その人亡きあとそいつの「意味」だけが宙ぶらりんに存在してるのって、ものすごく「立つ鳥跡を濁」してませんか。もしかして僕、恐ろしいこと言ってますか。

 さて、話を戻します。アニメや子供向けの娯楽にまったく興味がなかったわけではなく、むしろ僕の興味はただひとつ、「ドラえもん」のみに集中していきました。

 僕は小学校に入学してから二年生くらいまで、昼休みは教室に残り、一人で黙々と自由帳に絵を描いていた。うん。ドラえもんの「ひみつ道具」を、ひたすら描き溜めていったのである。自由帳の一ページを12くらいのマスに区切って、ひとマスひとマス、オリジナルのものではなく、実際に漫画やアニメに登場したひみつ道具を丁寧に描いていた。来る日も来る日もそのようなことをしているものだから、クラスでのあだ名は「ドラえもん博士」だった覚えがある。たしかその自由帳は足かけ二年で何冊にもなり、ナンバリングしていったひみつ道具の数は数百に及んだと思うが、あまりはっきりとした記憶ではない。
 もともと、幼稚園のころに、大長編のドラえもんにはまっていた。そのときまでの過去作を、ひととおりレンタルで観た後は、母親曰く、同じ映画を何度も借りて観ていたそうである。同じものを何度でも飽きずに観られるというのは、いまも昔も変わっていないようだ。ちなみに僕のお気に入り大長編は、のび太の海底鬼岩城、のび太の魔界大冒険、のび太のリトルスターウォーズ、、、って、書いていったらキリがないのでやめておきます。


 えっとですね、上のようなことを書きましたけど、すこし言わせてもらっていいですか。僕、このブログにめっちゃ記事の下書きしてるのですね、で、そのうちのひとつを引っ張り出してきて少し書きなおしして上のようになったわけです。何が言いたいかというと、僕、「昔にあげた記事に関しては責任持てない」なんてことを常々言ってますけど、もはや、今日上げる内容に関してはすでに「?」だし、圧倒的に責任持てません。だって、意味が分からないのだもの、読んでて。なんか、書かれたその瞬間に、圧倒的な速度で「書くことなさ」が「責任」に追いつき、追い越していってる気がします。ああ、書かれた瞬間、誰も責任を取ってくれる人間がいなくなった、かわいそうなことばたち。かわいそうなぞう

 そろそろ、更新も100日目とかになりそうです。なんかアニバーサリーなことしたいっす!