満腹

 おなかいっぱい、お酒も飲んで、愉快な話もして、もう一体何を書くことがあろうかという感じなんだけど、書きます。こういう日は、うえだ君、書いてくれないかなあとも思うのですが、たまに「今日書ける?」って聞くと、「ごめん無理」って返ってきた後、「てか、なんで僕が謝らなきゃいけないの?」っていう完全なカウンターを食らうので、恐いのです。「書きたい日は勝手に書くから、聞いてこないで」と言われてます。「(家で)食べたい日は勝手に(家のものを)食うから、(今日晩ご飯いるの?っていちいち)聞いてこないで」っていう思春期の息子みたいな感じですね。違うか。こういうこと書くとまた怒られそうだから、黙っておいてねみんな。彼、読んでないから。みなさまにおかれましては、僕とうえだの「鬼の居ぬ間に洗濯」感も楽しんでいただければ、と思います。

 お金のことを書いているブログを読んできたばかりなので、僕もお金の話をしようと思います。正直、先月末にアルバイトを辞めてから、自分の今後の経済状況がどうなるのか、全く予想がついていません。四年生になったあとのことを考えると、やはりアルバイトは続けておいたほうが良かったような気もします。けど、アルバイトがないというのは、僕にとってはストレスが全くない状態で、ほんっとうに幸せです。最近、幸せえええ。
 やっぱりアルバイトというものは、時給がもらえる代わりに「責任」が発生するというシステムのもとで働くわけで、それが一切ないというのは、幸せですよね。だって、「責任」を感じる機会が、全くないもの、生きていて。わかりやすく、だめーな感じで、幸せです。うへへ。
 
 (まあ、アルバイトをしていたころも、ちゃんと時給分の「責任」を背負って働いていたと胸を張って言えるわけではなく、そこそこ、幸せだったんだけどね)

 さて。もう書くことないんだけど。どうしよう。

 あ、コメントもらってて、その内容については、僕、結構いろいろ考えてます。特に、記事の内容を批判的に捉えて書いてもらうと、ふむふむと思いながら読んで、また考えます。直接返事はしないけど(会ったときに話したりはしたい)、次の記事を書く原動力になっている気がします。ありがとうございます。たまに、っていうか、コメントをしてる人がどこの誰なのか、割と分かってないのですが、たいがい面白がりながら読んでます。

 そういえば、久しぶりにFacebookに近況をアップデートしたのね。短歌を書いた。去年の夏ごろ、Facebookにはよく短歌をあげていたんだけど、それを思い出して。で、その短歌っていうのが、



  死へ向かう全ての器官を平等に滅ぼすために爆音で聴く


 っていう歌で、歌意としては、ヘッドホンで音楽を聴くときの、大音量で聴いちゃうことの言い訳、みたいなことなんですけど。肺とか肝臓とか腎臓とか、そういうものが歳とともにボロボロになっていくのを認めたとき、耳だってもう、多少積極的に壊していってもいいじゃないか、みたいな。酒で肝臓を壊す快楽があるなら、大きな音でメタルを聴いて耳を壊す快楽もあるだろ、みたいな。ああ、多分、伝わってないよね。説明めんどくさいなあ。こういう感覚、ある程度みんな覚えがあるだろうなあと思ったから詠んだんだけど。まあ、完全に僕のセンスがないんですけどね、このような場合。
 なんか、表面は「死」「滅ぼす」「爆音」と中学生みたいな青臭さがあって、その実、人間の体を「消耗品」と捉えているはかなさがある、まあ、馬鹿みたいな歌なんですけど、個人的に好きでして。そんな歌が、「いいね!」を一つしかもらえず、そのくせ何人かから「Facebookどうしたの?(半笑)」みたいな連絡が来て、悲しくなったので、ここに報告しました。「どうしたの?」のまえに、「いいね!」しとけよ、思ってなくてもよお!