めんきょ

 今日ももう色々とあったし、明日までにいろいろとやりたいこともあるので、ぱぱっと書きます。手抜き上等なこのブログですけどね、今後、今以上の勢いで手を抜いていこうと思っています。とりあえず、夏くらいまでは、他にやることがたくさんある気がするので。まあ、そんあなかですが頑張ります。

 去年の三月に卒業した自動車学校の卒業証が、もうあと二週間くらいで切れます。そしたら、親に払ってもらった二十万円がパーになってしまいます。
 分かっているのですが、もう、これは小学生のころからなんですけど、僕、ほんとに、ぎりぎりにならないとやらないタイプの人間なのです。夏休みの宿題なんかも、ちゃんと出した記憶がありません。お尻に火がつかないと、やらないタイプ。だから、免許証も、ぎりぎりに取りに行くと思います。最近、親からの連絡が恐くて。そろそろ、へらへらも限界にきている気がして。
 そうそう、なんで僕がこんな風に育ったかというと、これは予想なんですけど、僕、雰囲気が生まれつきへらへらしてるおかげで、あまり大人に怒られないのです。長期休みの宿題を出さなかったと書きましたが、同じように宿題を出してない人たちはたくさんいて、その人たちは先生から厳しく叱責されていた記憶があるのです。なんで僕は怒られないかと言うと、僕は「すみませんでした、間に合いませんでしたあ」ってこっそり先に職員室で謝っちゃうのです。そういうずるがしこいところでカバーしてきたなあという感じがします。あと、なんだかんだで、成績が著しく悪かったり、本当にやるべきことをなにもしなかったりっていうような、そういう人間ではなかったのだと思います。

 この、免許証をぎりぎりまで取りにいかない今の状況に、なぜ、自分がいるのか。もうちょっとしっかり考えてみたいと思います。

 一つは、「いつでも取りにいけるから」。一年以内であればいつでもいいわけで、別にそれが卒業の翌日であろうが、364日後であろうが、同じですよね、もらえるものは。「早めに取りに行った方が気持ちがすっきりするでしょ」ってことをいろんな人が言ってくれるんですけど、まあ、それには納得しつつも、「別にすっきりしなくてもいいなあ」というか、「モヤモヤしてるほうが生きてる感じがするんだもんなあ」っていうのは、正直あります。僕は、「免許取りにいかなきゃなあ」っていうことを、ちょくちょく思い出しながら、この一年間過ごしたわけです。春夏秋冬、それぞれの趣で「免許を取りにいかなきゃなあ」と感じ、感慨にふけったわけです。皆さんは、「夏の免許取りに行かなきゃ感」や「冬の免許取りに行かなきゃ感」をそれぞれ感じたことはあるかもしれませんが、僕は春夏秋冬、それぞれの味わいのある「免許取りに行かなきゃ感」を味わっているのですね。額から汗を流しながら、山道をひた歩き、ふと木陰に腰かけ、「免許取りに行かなきゃなあ」とつぶやいたあの夏の日。肌寒くなってきた秋の空に、吐く息が白くなったことを発見し、家路を急ぎながら「免許取りに行かなきゃなあ」とひとりごちた晩秋。それぞれに、味があった。

 この他にも、「話のネタにできるから」「勉強するのが嫌だから」「車社会への反抗心」「いっそのこと取れなかったらそれはそれで面白いかも」などいろいろありますが、面倒くさいので書きません。アディオス!