あなたとわたしの間の壁

 最近、この時間にわりとラブラブ電話してるので、書きそこないそうになるのですが、今日はなんとか這いつくばって、更新します。満腹まで肉を食い、酒を飲んだあとなので、もう、わりとぼろぼろですが、書きます。書かせていただきます。ありがとうございます。最近、私、毒が抜けてきつつあります。先月の終わりあたりから、タイトルの末尾に「!」がついていることが多くなったのに、お気付きの方はいらっしゃいますでしょうか。これ、確実に、幸せの、っていうか、毒が抜けてきた、余波、だと思います。どこかしら、テンションアゲアゲな自分を、感じます。このまま、世間様に迎合し、幸せな日々を天真爛漫につづる、サエコ的(イメージですが)日記になりはてていくのでしょうか。いきなり「アメブロに移転します♪」とかほざき始めたときは、「ああ、たごちゃん、ついに幸せになっちゃったんだな」と思ってください。それまでは、この薄汚いはてなダイアリー(本当に失礼)で薄汚い文章を更新し続けます。

 コメントで、「一生大切にしたい友達はいますか」みたいなことを聞いてくださったかたがいるので、まあ、他に書くこともないので、答えてみようかと思います。いますよ。このブログを一緒にやってるうえだ君とかもそうですし、特に今の僕の周りにいる人たちは、ずっと大切にしたいと思うし、その人たちが将来どんなふうに年を重ねていくのか、めっちゃ興味があります。自分の未来を想像すると、不安いっぱいでがっくしきますが、友人たちの将来を想像すると、ニヤニヤがとまりませんね。一緒に年をとって、一緒に死んでいけたら、きっと死ぬのも辛くないし、最期まで幸せでしょうね。だから、いまいる人たちとずーっと先まで一緒にいられたらいいなあと思いますよ。
 いままで、わりと友人関係についてシビアなこと書いてきましたけど、それは中学高校までの話で、上京してから出会った人たちには、自分もオープンな心で向き合えているなあと思うし、相手もまっすぐこっちに向かってきてくれている気がして。だから、ほんと、周りの人たちには恵まれているし、ちゃんと、僕も真摯に向き合っていかなきゃなあと、思います。こんな酔っ払って直す気もない迷文書いても読んでくれる人とかいますしね。それは関係ないか。

 でも、高校時代までの友人で、胸を張ってなかよしと言えるのは、ほんと、うえだ君だけだなあ僕は。それは、多分、自分がちゃんと相手にぶつかっていかなかったからだと思う。あと、周りはホント、見る目がなかったんだなあ、とも思う。あの頃から僕は天才的な人間だったからな。自分にセンスがない人はホントわからないですからねえ、僕のセンスの良さが。高校時代はノーセンスな人間に囲まれて過ごしちゃったので。


 僕、「親友」という言葉が使えません。これは、ほぼトラウマみたいなもので、さかのぼると、小学校の三年生か四年生のころ、クラスでお金の貸し借りが流行った時期があったのですね。「俺たち、親友だよな?」って言って、人からお金を貸してもらう、みたいなやりとりが、明るみに出たのです。僕はやったことなかったけど、クラスの何人かがやってたみたいで。そのときの担任の先生が「親友ってなんだろう」っていう話をホームルームでしたのです。多分、先生が言いたかったのは、「お金を貸し借りをするのが親友ではないよね」っていうことだったと思うけど、僕は先生の話を聞いて「親友」っていう言葉が嫌いになったというか、そもそも「親友」なんていう言葉があるからそんなことが起きるんだ、と思って。この気付きは、我ながらあっぱれだったと思うんですけどね、だって当時まだ8歳とかですから。賢い8歳ですよ。で、それ以来「親友」という言葉は使ったことがなくて、ほとんど拒絶みたいな状態です。
 これはいまでも思ってるんだけど、「友人」「友達」と「親友」の線引きってしたくなくて、実際自分はそこの線引きは一切してないと思ってる。仲が良くなったから腹の内を見せ始める、みたいなのって、カッコ悪いと思ってます。僕は、初対面でも、いきなり全力で、自分を晒していきますよ。というか、そうありたいと考えている。こないだ、Facebookにすばらしく変な顔(きゃりーぱみゅぱみゅを意識している)の写真をあげてもらったんだけど、なんなら僕と会う人たちは全員あれを予習として見ていてもらいたい。僕は、この程度できる人間ですよ、っていうことを。「特別な親友」じゃなくて、世界中の誰に対してでもね。それを考えると、金髪にしていた時代はやりやすかったと思う。第一印象でこっちのキャラ付けがはっきりできたというか、理解してもらいやすかったから。
 でも、いきなり距離詰めすぎて引かれることもままあるわけで、相手がもう全然引きまくりでまともな反応すら返してくれない時とかは、死んだ魚のような眼をして会話しているときもあります。別に「誰とでも友好的」ってわけではないので。
 ほんとにねえ、多いからね、「いきなり距離詰められると引いちゃいます〜」って奴。そういう人たちに返り討ちにされてきた苦い過去が、僕にはたんまりとありますよ。でもさ、「探り合いから始まって、仲良くなるまで一年かかって、一年後にはお別れ」とか、最初の一年間がすごく無駄なんですよ、ほんとに。相手がどう出てくるのかなんて、いちいち見てられないというか。とりあえず、相手と自分の間にある壁は、一度とび蹴りで全部壊してしまって、そのあとで、お互いにとって程よい高さに積み上げていけばいいじゃん、なんてことを思います。そのほうが、絶対手っ取り早いのよ。永遠じゃない時間の中で、たくさんの人と分かり合える。でもね、こっちが思いっきりとび蹴りするでしょ、そしたら壁のむこうでバリケード作ってて、必死に壁を崩れさせまいとする人たちがいるの。てっぺんから、丁寧にちょっとずつ崩していこうよ、っていう人たち。僕、そういう人たちに何回も足の骨折られてるんだけどね、あれ、どうにかなんないのかねー。ゆっくり壁を撤去していく時間なんてないんだけどなあ、って思って、すぐに次の壁蹴ってる、僕は。あ、高い高い壁越しに話をしている時、さっき書いたような死んだ魚のような眼をしているんだろうなあ。それもそれで、僕のやり方も、どうかと思うけどね。対人関係にしても、いろんなペースのひとがいる、ってんで。お互いいろんな立場がある、っていうのもあるし。ムズカシーですね。

 あ、なんか長々書いてしまいましたが。読んでいただいた方、いらっしゃったなら、ありがとうございます。んー、今日は、いて3人だな、ちゃんと読んでくれた人。もう寝ます。おやすみなさい!