スターバックス問題

 みなさん、コーヒーはお好きですか。

 小さい頃って、コーヒーが嫌いだったと思う。僕もあなたも。コーヒーを飲むならオレンジジュースを飲んでいたと思うし、大人があの苦みばしった黒くてすっぱい液体を飲んでいるのを見て、「なんであんなヘンなものを飲んでいるのだろう」と考えていたはずだ。子供が理解できない飲み物の代表として、コーヒーは「昼のビール」、ビールは「夜のコーヒー」とも言われる。言われない。

 ところが。大学生にもなると、みな徐々にコーヒーを口にする機会が増える。最初に遭遇するのは、「食後の飲み物としてのコーヒー」だろう。友達同士でランチを食べに出掛ける。ちょっとおしゃれなカフェで、1000円くらいするやつだ。店員に「お飲み物はいかがいたしますか?」と聞かれる。だいたい、メニューにはコーヒーか紅茶、オレンジジュースあたりが並ぶ。こんなとき、生まれたての君であれば、オレンジジュースを選ぶはずなのである。それがどういうわけか、「オレンジジュースはダサいのではないか」という無言の圧力がテーブルを支配し、男も女もコーヒーか紅茶を選ぶ。というか、飲み物が運ばれてくるのはたいてい食後なので、オレンジジュースを選ぶと「食いしん坊」みたいなレッテルを貼られかねない。コーヒーや紅茶が「水で薄めた」れっきとした飲み物であるのに対し、オレンジジュースは「果物を潰した液体」なのであり、形が引き延ばされたフルーツ、いわば「食べ物の延長」に違いないのだ。「あの人、食い意地が張ってるわ」。下手にオレンジジュースを頼むと、そんなことまで思われかねない。

 話が面倒くさくなってきたので、そろそろ本題に移りたい。数年前から世間を騒がせている、スターバックス問題についてである。スターバックス問題とは、「スターバックスの店内において、あの雰囲気に飲まれてしまう日本人が大量に発生している」という、ゆゆしき問題である。
 この件について、「たごもりなら何か思うところがあるのではないか」と、何人かにどう思うか聞かれたし、いつも社会のスキマに目を向けては小難しい持論を並べ立てて「俺は人とは目の付けどころが違う」と卑屈でうがった主張している僕なので、スターバックスみたいな日本人精神を逆なでする「外食チェーン」にはさぞ言いたいことがあるだろう、というように思われているのも理解できるが、僕自身スターバックスがそこまで嫌いではないのである。というか、僕の宿敵である「子供」が存在しないというだけで、スターバックスにはむしろ積極的に入りたい。マクドナルドなんかに行くと、日能研という謎の研究組織の実験体になった塾帰りの小学生がポテトを食べていたり、謎の国籍の幼稚園児たちがテーブルの間を走り回っていたり、とにかくやかましくて仕方がない。関係ないけど、マクドナルドの店員には、どこの店舗にも一人だけ、アラブ系の、彫の深い女性がいませんか。……同一人物?
 冗談はほどほどにして、スタバ問題について、ひとつづつ解きほぐしていきたい。まず、メニューが複雑であることが、スタバ問題の筆頭として挙げられる。ショート、トールはまだ分かるが、「グランテ」ともなると「……デタント?」みたいな、レジで和平交渉を要求、みたいな状況にもなりかねない。挙げ句の果てにベンティは、「なんかトーマスにいそう」くらいの印象ですから、絶対とっさに出てこない。あと毎回思うのが、左から小さい順に表記してくれればいいものを、一番左にトールサイズの値段が書いてあって、二番目に最小のショートがきてるでしょう。あれ、分かりにくいよね、ただでさえスタバってことでパニクってますから、こっちは。毎回メニューの右下にある「トッピング」みたいなものをチラ見するんだけど、何が無料で何が有料なのかよく分からないまま、お会計を終えてしまうよね。情けないね。
 メニューに関しては、みなさんも山ほど言いたいことがあるでしょうし、これくらいにします。あとはあれですね、「赤いランプの下でお待ちください」ですね。あの親切さ。富士そばに行って御覧なさいな。店員に食券渡した後の、あのどうしようもない「間」。どこに居てくださいとも言われず、ただ「そこにいてもいいし、先に席取っててもいいよーん」みたいに判断を一任される、適当な感じ。あの十数秒間、誰もがバカみたいな顔をして、「純粋蕎麦を待つ人」になるわけです。その点、スターバックスの親切さは、ちょっと行きすぎてます。「赤いランプの下」だなんて。先祖代々、桜の木の下で花見をし、柳の下の幽霊に肝を冷やしてきた日本人が、赤いランプの下でアフリカの豆の煮汁を待つわけですから。そりゃ、不安な気持ちにもなるわけです。あのランプが、もし「提灯」だったなら。「赤い提灯の下でお待ちになってどすえ〜(なぜか京都弁で)」。これなら、スターバックス問題はこんなにも大きくなっていなかったでしょう。

 さて。ここまできてようやく本題です。スターバックス問題を語る上で、最も重要となるのが、そう、「客層」です。先ほど「店内に子供がいない」と書きましたが、スターバックスはコーヒーのお店ということもあって、大人風情の連中がたくさんいます。中にはパソコンを広げて、なにやらカタカタと作業をしている者まで。一体何をしているのでしょう。
 先日、一人スタバで本を読んでいると、隣の席にさわやかなお兄さんがやってきました。くっきりとした二重瞼に、おしゃれな帽子を被っています。日焼けして骨ばった右手には、さりげなくシルバーリングが光っていました。典型的な、お洒落上級者です。
 彼はカバンからパソコンを取り出すと、買ってきたアイスコーヒーには一切手をつけず、ディスプレイを難しい顔で眺め始めました。僕からすると、わざわざ屋外にノートパソコンを持ち運ぶというのは、そうとう切羽詰まった状況なのであって、締め切りを抱えるライターか、もしくはエンジニアのようなパソコンありきのお仕事の人かと思われたので、さりげなくそっちを見てみると、

 『YAHOO!天気』みてた。その人。

 気付きました、その時。「あ、この人、することないんだ」って。その後、そのお兄さんは、トヨタのホームページに行き、様々な車種の燃費を、お洒落なメモ帳に書き写して、一覧にして、そのあとしばらく、遠くを眺めていました。
 ほんとうに、やることがなかったようなのです。
 その後、燃費のメモなど無かったかのように、グーグルアースを見始めました。「グーグルアースを見る」って、それ、スタバでやらなくていいでしょ、って、思いましたよ。お前がそのグーグルアースを見ている間に、まったく手つかずのコーヒーは氷が溶けて、どんどん味が薄くなっていってる。まあ、それはどうでもいいんだけど、やはり今一度皆さんに考えてもらいたいのは、「スタバにパソコンを持っていくほどの自分やか」ということですね。十万部。スタバにパソコンを持っていって作業していいのは、自分の書籍が十万部売れてる人だけ、っていうのはどうですか。厳しいですか。いや、本当なら、「勝手にどうぞ」って言いたいところなんだけど、世のみなさんが、相当に「これみよがし」を嫌うものでして、今現在のスタバにパソコンを持って行ったときに生じる「これみよがし」感を払拭するには、やはりその「よがし」に見合った何かを自分は今クリエートしている「自信」をもつ基準が必要だろうと、そうじゃないとみなさんプレッシャーに負けてスタバでパソコンなんて使う気になれないでしょうと、そう思うのだ。スタバでパソコンを使ってる人を見たら、「わ、素敵」って思いたいじゃないですか。「なんかカッコイイ」って。それは、パソコンを仕事道具として日夜ディスプレイと向き合っている戦士たちのいわば「専売特許」なのであって、それをグーグルアースで地球をグールグルする(言いたくて仕方なかった、ごめん)「気どり野郎」と一緒にされては、可哀想な気がするのであった。

 どうだろう。実は今までまったくどうでもよかった「スターバックス問題」について、気合いを入れて書いてみた。中盤から「別にどうでもいいよ……」と思いながら書いていたのは内緒にしたい。

 どうでもいいスタバの話は置いておいて、真面目に考えてることが一つある。こないだ運転免許の試験場に行ってきたのであるが、普通免許の卒業試験、あのときの「ピリピリしたムード」は一体何なんですかね。おそらく、普通自動車の運転免許証というものは、貧乏人から大金持ち、高学歴の者から中卒の者まで、あまねく取得に来る、というのが、あの変な雰囲気の原因なのだと思うのですが、運転免許の試験って「これでもか」ってほどに「お互いに思いやりの気持ちで」とか「交通ルールを守り合って」とか言ってくるじゃない。それにしては、会場の面子を見た時に「あ、こいつらと協力し合っていくのは無理」って思わせる力がすごくないですか、あの試験会場というやつは。
 どう見ても、圧倒的に馬鹿な顔をした連中が、だらしのない恰好をして試験を受け、だらしのない点数で席を立たされるじゃないですか。で、あれって僕だけが思ってるんじゃないと思うんですよ。他の人は、僕のことを見て「うわあ、運動神経鈍そうな奴がいるよ、絶対事故りそう……」って思ってるはずなんです。で、あれだけ馬鹿な顔をした連中が、もう卒業試験までコマを進めてきてるわけだから、ほぼ100パーくらいの確率で運転免許証を手にするわけでしょ? あれでは、「他のドライバーを信用して、ともに協力して運転して……」みたいな穏やかな気持ちになれませんよ。会場の二人に一人が、「なんのためらいもなく老婆を跳ね飛ばします」みたいな顔してるように(僕には)見えたもん。

 そこで、提案なんですが、試験会場の照明をもっと明るくするのはどうでしょう。せめて、暖色系の電灯を使いましょうよ。なんかね、あの空間、高圧的なんですよ、こちらが悪いことしてるみたいな感じで。あの「教室」みたいな雰囲気も、よくないです、せっかくみんな18歳以上なのに。頭の悪い高校生みたいに見えちゃう、あの空間にいると、どうしても。
 あと、どうせ実際運転するときにあんまり役に立たないような○×問題を100個も解かせるなら、問題数を半分にして、みんなで自己紹介しませんか。僕も本当は嫌なんだけど、さすがにちょっと「これから車の運転をしようって奴らはこんなにも頭の悪そうな人間だらけなのかい? 本当にちゃんとしたオトナなのかい?」っていう疑問がどうしても拭い去れないのよ僕には。せめて、一人一人名前を言っていってもらって、そうだなあ、「尊敬する人物」とか「座右の銘」とか言ってもらえれば、僕はそこでおおよその判断をしますから、「あ、この人たちと同じ道路を走るなら大丈夫だ」っていうのか、もしくは「こんなアホどもと同じ道路を走るのは無理」っていうのか、どっちかを。今のままじゃね、不安なんですよ、あのメンツで事故を起こさずに金属の塊を走らせられる気がしない。だって二人に一人は「何のためらいもなく老婆を(略)」って感じなんだから、マジで。基本人間不信なんだよこっちは。お互いの人間性を少しでも垣間見られれば、安心するんです。で、実際そんな馬鹿ばっかりじゃないはずなんです。本当に。お願いします、警視庁の偉い人。あと、当日は「家」みたいな上下ジャージで来るのも禁止にしましょう。できれば、全員スーツを着用してくるようにして。いいですか、これは信用の問題なんです。車なんて、なんだかんだ言って、安全だと信じれない限り運転できないんです、あんなもの。形式の問題なんですよ。安全神話、信じさせてください、って話ですよ。


 ちょっと長々と書きすぎました。そろそろ昼寝したくなってきた……。