フライヤー

寝ます。
そのまえになにかあげるものはないかエバーノートを探したら、長いのがあったので載せます。一年前くらいにかいたやつだと思います。読み返してません。それでは、おやすみなさい。


劇場のはなし

フライヤー、などというカッコいい言葉を使うつもりはない。以前、何かの企画でチラシ担当の人間が「フライヤー担当です」と言っていて、空でも飛ぶのかと思った。意味ごときが語感に逆らっていては、ろくなことがない。 僕は基本的に、街で配られているチラシは要らない。駅前でインド人が配っているカレー屋のチラシは可愛いので例外として、ヌッと伸びてくる手が恐いので、もらいたく ない。劇場のチラシは脅迫的でさえある。芝居を見るために劇場に入って、ワクワクしながら席に向かったときに、自分の席に大量のチラシが置いてあると、とてもむなしくなる。ははあ、ウムを言わせないとはこのことか、といつも思う。みなさんも経験はないだろうか。なんなんだ、あの、席に事前にチラシが置いてあるシステムは。ズルくないか。手に取らないと、座れないじゃないか。それならばチケットに書いておいてほしい、「椅子は用意しますが、お客様の手でチラシを退けないと、そのままでは座れません」って。そもそも、今から芝居を見るというのに、これでもか、と芝居のチラシが重ねてあるのは、そんなに芝居ばかり見ておられるか、と芝居そのものに対して一気に面倒な気持ちになる。あんなものより、いっそのこと31のチラシでも挟まっていれば、今年のハロウィンも気合入ってるなあ、みたいな楽しい気持ちになるのではないか。客の機嫌が良い方が、演者も芝居がやりやすいのではないか。 たまに、それでもやはり暇なので大量のチラシを漁って読んでいると、これから始まる芝居よりもよほど楽しそうな芝居を見つけてしまい、なんだか興奮がさめてしまう。どのみちいいことはないのだ。公演案内のチラシはまだよい。問題は、芝居自体のアンケートチラシである。こいつは非常にやっかいだ。しかも、つまらない劇団ほど、アンケートの項目だけはやたら充実してるのである。 そもそも、劇場でのお芝居は、お客さんの目の前でやるのだから、アンケートなんか必要ないと思う。せっかく生の反応がリアルに感じられるのだから、それを参考にすればよい。わざわざ小屋を押さえて、わざわざ見に来てもらった意味というものを考えなければならない。スベった箇所を、いちいち「ここがスベってました」と教えてもらわなければ分からないようなら、いつまで経っても芝居 は面白くならないだろう。生のリアクションを、舞台裏のスタッフも含めて、全員で感じるべきだ。 もちろん、こっちにも言いたいことはあったりするので、簡単なペラ紙一枚渡してくれればよい。返さなきゃいけないのが面倒くさいので、ペンも要らない。本当に感動したり面白かったりしたら、紙なんか無くたって伝える方法はいくらでもある。終演後、全員が黙々とアンケートを記入するような、気味の悪い舞台はイヤ、ということだ。 演者は演者で終演後、出口のところで待ち伏せする暇があるなら、スベった哀しみを覚えているうちにすぐにでも反省会を開いたほうがいいと思う。