交際中

 昨日の記事、どうですか。一年前と書きましたが、半年くらい前のやつだと思います。ハローウィンがどうのこうの書いてたので。一年半前かもしれないけど。とにかく、今と比べてだいぶ文章の感じが違うというか、今の方が読みやすくなってると思いませんか。まあ、いまもまだ油断すると悪文ばっかり書いちゃうんですけどね。

 中国の、昔の、偉い人が、文章を書くうえでの「三上(さんじょう」と「三多(さんた)」というのを言っていてですね。三上っていうのは「のりもののなか」「布団のなか」「トイレの中」で、アイデアを思いつきやすいらしいんですね、これらの状況は。で、三多っていうのは、文章を書くときには「多く読むこと」「多く書くこと」「多く推敲すること」が大切、っていう、そういうことらしいっす。うん。あ、だからどうっていう話ではなくて、そういうことをね、心にとどめながら、書いていきたいな、っていう、ことです。さっそくブツ切れの悪文書いてますけどね。悪文ってなんだ、悪文って。悪人みたいにいってんじゃねえぞー!

 さて。先日、とある方から、「Facebookで『交際中』ステータスを表明する勇気について知りたいので、ブログで記事にしてほしい」という声をいただきまして、せっかくブログをやっているのにそのようなリクエストをいただけることが滅多になくて悲しんでるところ、非常に嬉しかったので、書きます。
 まあ、僕の意見としては、ネットに個人情報を載せるのって、別に恐くないと思っています。誰と交際してるとか、本名とか、住所とか、写真とか、そういうものがネットに出回るっていうのは、実際そんなにリスクはないと思うんですね。日本だし、ほぼゼロに近いんじゃないでしょうか。かつて、夏目漱石のおうちには、どこで嗅ぎつけたか、文学志望の若者がしょっちゅう尋ねて来ていたと聞いて、そういうのってかっこいいなあと憧れている部分もあります。
 それに、すべてをクローズドにしたら即安心できるほど、平和な世の中でもないんですね。「イライラしていた 誰でも良かった 今は後悔している」で人が殺されちゃう世の中ですから。他人を信頼してないと、あんな、渋谷のスクランブル交差点なんて、歩けないでしょう。危険っていうのは、誰かの悪意の先にあるのではなくて、もっと不意にやってくるものだと思うんです。割りばし咥えて走ってたら、コケて喉に刺さって死んでしまった、とか、クラブで大勢で踊り狂っていたら床が抜けて、踊りながら死んでしまった、とか。自分の情報が相手に知られる不安っていうのは、確かに気持ちは分かりますけど、住所とか本名とか家族構成とか、探偵雇えばすぐ分かりますからね、ぶっちゃけ。だから、本当に必要なのは、余計な恨みを買わないことだし、日常での危機管理意識ですね。ケガや病気を未然に防ごうとする意識。死なないため、よりよく生きるには。住所が知られてるとか知られてないとか、そういうことじゃなくてさ。で、あとは運だと思います。

 だいぶ趣旨がずれてる気がするので、「『交際中』ってなぜ公言するの?」ってところに戻りますけど、たぶん、誰かのことが好きだっていう幸せな状況を、自慢したいんじゃないでしょうか。最大の理由は、のろけだと思いますよ。いいじゃない、のろけて。「直接みんなに伝えるのは恥ずかしいし面倒だけど、一応、よしみとして彼女がいることは伝えられるなら」と思って『交際中』設定してる人も多そう。

 えっと、寝ますね。脈絡なくてすみません。実は、酔ってます。おやすみなさい!