ずるい更新

頑張りたいけど眠たくてもうどあしようもないで刷りもじがうてまけわ
おやすみなさい。


↑上記のような文を書いたのが、昨日の夜です。今この記事を書いているのは27日13:17の僕ですので、過去にさかのぼった、ずるい更新をしている、ということになります。昨日の夜は、お酒を飲んで、非常に幸せな気持ちになって、そのうえ寝る前に布団でごろごろ電話してたので、もう、限界だったのです。

さて。卒業シーズンも終わりました。シーズンは終わってないのかな。おい。ともかく、先輩方が卒業していってしまって、来月から社会人だというみなさんをみて、はじめてじゃないかな、一年後の自分を、ちゃんと思い描いてみました。尊敬する先輩方が、嫌だ嫌だと言いながら(ははは)社会人になっていく姿を見て、その後ろ姿を追っかけて僕も会社勤めをしてみてもいいかなあ、なんて、思いました。就職活動、受ける会社受ける会社落ちまくりな僕ですが、まだまだ頑張れるなあと思ったよ。

関係ないけど、最近まわりで入社選考に落ちることを「祈られる」っていう人が多くて、正直聞くたびに虫酸が走ります。あ、僕も先日知ったばかりなんでみなさん知らないと思います、由来を書くと、選考に落ちると「今後の検討をお祈りします」ってメールが来るそうなんです。僕、落ちた会社のメールそんなじっくり読まないんで知らないんですけど。で、そこから「落ちる」を「祈られる」と言うそうなんです。ああ、もう、説明するのが恥ずかしい。自分と同じ立場の人間が言いはじめた言葉だと思うだけでげろが出ますねー。落ちた人間が、「落ちた」じゃなくて、自分で柔らかな「祈られた」ったいう表現に変える、そのメンタルが気持ち悪い。というか、ださい。落ちてもなおカッコつけようとしてしまう、追い詰められた人間特有のダサさが発揮されてる気がして。というかまず、祈られてもねえよって話ですからね。そういう、プライドもなんもねえような、だっさい言葉にすがるなよ、と思います。こういう記事を書くと、結局は「就活文化にとらわれている」ということで、この僕の怒りもまわりから見れば「ださいもの」になるじゃないですか。それが嫌なんだよなあ。でも、今確実に感じているダサさを野放しにもしたくないのよ。ブログなんて、っていうか、批判なんて、一言で言い換えれば「ダサさの追いかけっこ」だと思っています。その追いかけっこの記録をするのが、ブログなのかもしれないね。まあ、基本はその気持ちのおいかけっこで、人生は進んでいくんだと思うよ。僕もみんなも。許してください。僕もみんなを許してあげたいっす。

さて。ださい記事はこれくらいにして、今日の記事をまたあとで書きます! 卒業していく先輩を意識して書いてみます!

とりあえず、いまからベーコン展いってきます。近代美術館はじめてかもしれない。