KYOUTO

 読者の方々は周知の通り、京都に行ってきた。先輩方が新社会人として溌溂と過ごしたエイプリルフール、一日の夜に夜行バスに乗って、二日の朝に京都に着いた。今回は旅行記のようなものを書いてみようと思う。ただ、僕はメモを残す癖がないので、すべての出来事を、曖昧な記憶の中から引っ張り出してこなければならない。これには少々の無理が伴う。今、もしやと思って手帳を取り出して、四月の月間スケジュールを眺めてみたが、最初の週は綺麗に何も書かれていなかった。しかし、よく考えてみると、そもそも何も書かれていなかったから不意に思い立って京都に行ってみたのであって、せっかく空白を味わうための旅行でスケジュールを埋めてしまっては意味がない。だから、この五日間ほど、ほとんどその時の場面で、自由気ままに生活したように思う。
 自由気まま、と言っても、僕は宿に泊まったわけではなく、人の家に泊まったのだから、もちろん家主のスケジュールが優先された。二日、早朝に京都駅に着いてから、バスに乗って、早速人の家に向かった。いつも思うが、京都は交通の便があまりよくない。バスは様々な会社が競合しており、路線が複雑で、しかも時期によっては渋滞が多発するから、思った時間に移動できない。電車は電車で、JRと私鉄が変な風に入り混じっているし、そもそも京都は行きたい場所がいろんなお寺や神社で点在しているから、思った場所に出られない。海外からの観光客はみな神妙な面持ちで路線図を眺めている。
 日を追って滞在記を記していこうと思ったが、早くも三日目何をしていたか分からなくなったので、オムニバス形式、記憶に残ったことを書いていこうと思う。オムニバス形式の意味がよく分かっていないので、適当に読んでもらえればうれしい。

 これは四月四日のことだ。マクドナルドのポテトの無料券が、有効期限を当日に控えていたので、ポテトを引き換えに行った。ついでに、コーヒーの無料クーポンもあったのでそれも使い、一円も払わずにポテトとコーヒーを受け取りルンルン気分でテイクアウトしたらコーヒーがこぼれた。袋の上の方を持って、半ば振り回し気味に歩いていたせいで、徐々にコーヒーが袋に染み出てきており、ちょうどカップのすり切りの高さで袋がぐっしょりと濡れて、今にも破れ落ちそうな具合だったので、あわてて公園のベンチに腰を降ろした。桜が綺麗だったが住宅街にある小さな公園なので名前もないような場所だったと思う。早速ポテトを食べ始めたがコーヒーがカップの半分も入っていないので喉が渇いた。公園の入り口にあった自動販売機でオレンジジュースを買って戻ると、僕が座っていたベンチに子供達の人だかりができている。しまったと思った。ポテトを置いたままにしてきたので、子供たちが興味津津で覗きこんでいるのだ。止せばいいのに、子供というものはなんでもかんでも覗き込む。利口な大人であれば、「ここにあるポテトは誰かの食べかけで、周りにそのお行儀の悪いポテトの持ち主がいるはずだ」と思って警戒するから、下手に覗いてみたりはしない。子供達は視野が狭く、自分たちの視線でしかものごとを考えられないため、近寄ってくる僕の存在には気づかないらしい。「ごめんね、それ僕のポテトだよ」とひきつりながらも笑顔で声をかける。子供達は悪びれもしない様子で、かといって恐れをなした風でもなく、「はあ」などと曖昧な言葉を発して遊具の方へと歩いていった。犬よりははるかに賢いが、どうせ明日も同じようにベンチにポテトが置いてあれば、また覗き込んで、「ポテトだあ」と思うに違いない。その持ち主がどうとかいう考えは、どうせ大人になっても「無関心」へと移行していくだけで、何か思考を始めるわけでもないが、あの集団の中にポテトのことを公園全体の空間、あるいは時間帯や曜日、気象条件をひっくるめて捉えて僕の人柄なんかを想像できた者が一人でもいたかというと、怪しいなと思った。しかし、そんな必要はなく時がたてば十分に立派な大人になれる、とも思った。

 四月忘日。加茂川のほとりを歩いた。桜はやや散り始めていたが、広い川に沿って大振りの幹がどこまでも並んでいて、夕暮れの青と桜色のコントラストが美しかった。ところどころにあるベンチに座って、若い男女や、おじいさんと犬が、のんびり語りあっていた。京都の春を、あと何回眺めることができるだろうか、なんてことを考えた。すぐ近くに京都府立植物園もあって、入場料200円を払って入ってみたものの、園内で同行した人の「赤い靴を履いた少女」の話が面白く、その話をしているうちに桜の見どころスポットは過ぎ、なぜかうっそうとした林を歩いているうちに、反対側の出口まで来てしまった。百年以上の歴史がある、なんだか洒落たイタリアンのお店を見つけたが、人がたくさん並んでいたし、前日の昼にスパゲッティを食べていたので、家に帰ってピザを注文して、食べた。ピザもイタリアンだけど、気にしなかった。ピザはとても美味しく、高カロリーのチーズをたくさん摂取してしまった。僕がサラダのマヨネーズを絨毯にこぼして、家の人がレッドペッパーを絨毯にこぼした。絨毯は、こうやって汚れていくのだなあ、と思った。

 それから、また別の忘日、等持院に出掛けた。足利尊氏菩提寺らしく、庭が立派だったが、地味だったしおなかがすいていたのであまり覚えていない。近所に立命館のキャンパスがあって、新入生歓迎の時期らしく、マイクで拡大された声が庭にいる僕たちにも聞こえてきたので、ちょっと雰囲気的にダメな感じだったりもした。

 またまた別の忘日、小倉百人一首の殿堂、時雨殿にも足を運んだ。撰者の藤原定家ゆかりの土地で、ずっと行きたかったのだけれど、展示自体はあまり気合いを感じられなかった。ただ、内部の展示に「今日の一首」なるものがあって、入り口で渡されるチケットに書かれた歌と、その「今日の一首」が一致すると、景品がもらえるらしかった。百人一首は文字通り百首あり、チケットにはそのうちランダムで一つの歌が書かれているから、純粋に考えて当選する確率は百分の一、めちゃくちゃシビアだが、ワクワク感がけっこうあったので、嵐山へ行かれた際はぜひ足を延ばしてみることをおすすめしたい。嵐山では湯葉御膳を食べた。湯葉、ちゃんと食べたのは初めてだった気がするが、味は良く分からないまでもいい感じにおかずになるヘルシーな食べ物だということは分かった。個人的には、メインの湯葉よりもちょっぴり添えてあった漬物がとても美味しかった。

 他にもいろいろ楽しいことがあったけれど、その場の雰囲気を共有しなければ分からないようなノリの面白さがたくさんあったので、このへんにしてもうやめておこうと思う。
 それと、京都とは直接関係ないけれど、人の家に長期滞在して、自分の家の汚さを思い知った。京都での家の人が引っ越したばかりということもあったが、やはりわが家には物が多すぎる。洋服も多いし、ゴミが本来の行き場を失って散らばっているのがいけない。これから少しずつ改善していければいいと思う。

 真面目な文体で書いてみたら、思いのほか冗談の少ない、面白味のない文章になってしまって、反省。でももう書きなおす元気もないので、寝る。おやすみなさい。