夢と戦争

昼寝をしていたら、戦争が始まった夢を見た。第三次世界大戦であろう。僕は大量の荷物を抱えて、人が全くいないモノレールに乗っていた。弟が、戦争に動員され、よく分からないが、そのお見送りかなにかに行く途中だったようだ。自分じゃなくて弟が、というところに、リアリティを感じる。モノレールに乗っている最中も、いつ敵軍の攻撃にあうか分からないような状況で、肝を冷やした。
 考えてみれば、いつ何時火が降ってくるかわからないというのは、いろいろと不都合が多い。ちょっと出掛けるにしても、家にある貴重品を置いていくわけにはいかないし、いちど遠出すれば次に帰って来れる日がいつになるか、なかなか分からないと思う。飛行機はもちろん飛ばないだろうし、新幹線だって長い長い線路のどこか、ほんの1メートルでも壊されれば、たちまち大都市と大都市は分断される。車に乗ろうにも、同じように思う人がたくさんいるわけで、ガソリンはあるか、道は安全か、などと不安が尽きない。
 それに、日本は前の戦争からほとんど70年が過ぎていて、戦争を知っているものが少なくなっている。戦争をやっているときにきちんとものを考え、そして今でもきちんと話が出来る人は、もうほとんどいないと言ってもいいかもしれない。もっと言うと、あのころの「戦前」を知る者は、もっと少ない。おじいちゃんだって、戦争初心者なのである。これは困ったことで、あとから生まれてくる世代にとっては僕みたいなペーペーでも「戦後生まれ」という認識なのであって、そこらへんの不和というか、言ってみれば誰が戦争の責任を取るか、みたいな、主導権を握っているのが誰で、誰が「自分はこの戦争に関係ないよ」と言えるのか、やはり曖昧になるだろうなあという気持ちがある。