小平市の住民投票に思う

 小平市住民投票について。僕も小平市民なのでなにか書こうと思います。

 僕は、今回の住民投票には行きましたけど、先月の市長選にはいかなかったので、まあ、その程度の関心がある者の意見として聞いてください。

 まず、投票率によって開票がされない件について、「先の市長選での投票率も同じくらいだったのだから、その選挙で選ばれた市長こそ民意を反映していない、辞任しろ」という意見を目にしましたが、これはおかしいですよね。それだと、市長、いなくなっちゃいますし。でも、選挙に行ってない僕らは、それでいいって思ってるわけじゃないから。そこが、今回の住民投票との違いでさ。
 住民の総意じゃないと、市長が選べないんだったら、市長なんてお仕事は存在できない気がします。市長は100%の人に来てほしいわけでしょ、自分の選挙も、住民投票も。本音がどうなのかは、知らんけど。投票権があって選挙にいかないのは、他でもない、市民なわけだから。

 今回の教訓として残るのは、「みんな選挙にいこう!」っていうことだけじゃないでしょうか。住民投票をやろうってことで集めた署名が7000人以上のものだったのに、いざ市が3000万円かけて住民投票したら投票率35%、投票数にして約5万票っていうのは、やっぱり一部の人しか関心がないんだなあという印象を受けます。関心がない、というのは、責められることではないと思うのです。すべてのことに興味関心を注いでいたら、生きていけませんから。僕としては、政治参加のことについても、「自分の生きやすさ・生きづらさに関わってくる問題だよ」と日頃いろんなひとに吹聴してますけど(国政選挙のときとか)、今回の小平市の選挙については、多くの住民にとっても、実際そんなに関心がなかったか、あるいはむしろ、積極的に道路を作ってほしいという人も実際は一定数いるんだと思いますよ。そして、そういう人たちはわざわざ投票所なんて行きたくないでしょ。当たり前だけど。
 というか、書いてて思ったんですけど、「50%の票が入らないと開票すらしない」っていう事前の状況がなかったら、それこそこの住民投票投票率はすさまじく低いことになっていたような気もしますけどね。そして、それならなおのこと、なんのために投票やったの、っていうことにもなりかねない気がするし。よかったんじゃないのかな、「50%に満たない場合は開票しない」で。今回の件は、住民投票とは名ばかりで単なるアンケートみたいなものだった、っていう意見も目にしたし(実際そうなのかは知らない。政治の制度はむずかしそう)、なんだかんだすごく話題になったじゃない。ここから、道路のことも、それから市民参加の政治がどうこうとかいうことも、話していったらいいんじゃないですかね。経費としてかかったらしい3000万円以上の意味が、あったと思います。

 あとねえ、自分には投票権がないっていう人が、やたら好き勝手に言っているような気もして、なんか嫌ですね。自分が票を投じなくていいってなったら、責任がなくなるじゃない。たとえば、「学生時代に小平にいたから」とか、「自然を守らなきゃ」とか、そういう理由で、簡単に工事に反対する立場を表明できる。いろんな、自分が票を入れるときには存在するめんどうなシガラミからも、解き放たれてさ。
 でも、小平に道路が走るのか、っていう問題は、住民の利便性とか、隣接する市の状況とか、「当事者」である僕たちはより様々な側面を見なければならないでしょ。そこらへんの、「投票権がない、綺麗ごとを言う人たち」との折り合いっていうことも、今回は考えさせらた気がします。いざ自分が、炎天下の日曜日にテクテク歩いて選挙に行くってなったらぜったい面倒がるくせに、そもそも選挙権がない投票については「これは行かなきゃだよね」とか「小平に住んでたら行きたかった」とか言うでしょ。とくにツイッターのやつらは(小声)。実は、こういうこと言う人は信用ならねーナ、と思ってたりする。

 ひさびさに書いた−っ。