無題(日常)

(1) 後藤ひろひとが『大王集vol.1』のなかで、アメリカのカントリー歌手であるガース・ブルックスを引き合いに出して、「アメリカの人口のほとんどは、ニューヨークやロサンゼルスといった都市部ではなく田舎に住んでいて、それゆえアメリカではカントリー音楽が非常に好まれる」というようなことを書いていた。本を探し出してきて正確に引用するのが面倒なので、なんとなくそんなことが書いてあった、と思っておいてほしい。で、実際に日本ではほとんど知名度がない(と思われる)ガース・ブルックスというおじさんはカントリー歌手であり、アメリカ国内では歴代CD売り上げの第三位で、これはビートルズとレッドツェッペリンに次いで、四位のエルヴィス・プレスリーを上回るのだというのだから驚きだ。女性アーティストのシャナイア・トゥエインなんかも含めて、彼らカントリーの歌い手の国内でのCD売り上げはマドンナやマイケル・ジャクソンをゆうに超えているのだという。

(2) で、日本で「カントリー音楽」ってどういうものかと考えてみたら、CDよりもレコチョクなんかで売れてる(田舎にCDショップはない)、カタカナとかアルファベットの、しょっちゅう誰かとフューチャリングしてる歌手の、露骨なまでの恋愛体質を歌ったものばかりが頭に浮かぶ。それが音楽として優れてるとかそういうことは言うつもりはなくて、ここから日本の田舎、そしてヤンキーについて考えてみるのも、面白いのかなあと思う。

(3) 献血に行ったら、待合室で四十くらいのおじさんが18歳の大学一年生(と自分で言っていた)の女の子をナンパしており、「今日これから原宿でパーティーがある、来ないか」「金曜日にたこ焼きパーティがある、来ないか」としきりに誘っており、鬱陶しいなあと思いながら無料のカルピスを飲んでいたのだが、献血所という場所に集う人たちはどこか平均以上の優しさを持っている人が多いだろうし(僕は冷たいものを飲みながら読書をできる場所を探していたのだが)、献血ルームでナンパをするというのは正解だろうなあと思った。メンヘラの女の子は誘いやすいだろうし。

(4) 町を歩いていると、周りを歩いている全ての人間について、「どう考えてもこいつら頭使って生きてないだろうな」と思うことが多々ある。目がうつろだったり、口が半開きだったり、まあそんなことはどうでもいいっちゃどうでもいいのであるが、「どうでもいい」というのと「人間として接してあげる」というのは別である。

(5) フェイスブックに『涙腺崩壊3秒前 〜思わず涙する感動秘話〜』というページがあって、いわゆる「感動的な」「泣ける」話がたくさんあるのだが、いい歳した大人がこんなインスタントな話で感動して身につまされてるっていう、その現状ってどうなのよと思うし、官能に直接訴えかけられてなんぼ、みたいな「即・官能的」なものを求めるのがヤンキーのメンタリティなんだろうなあと思う。勉強のいらない、わかりやすいもので感動するのは、若いうちならまだいいが、歳とってそれやってんのは相当恥ずかしい、ということを理解しなきゃいけないと思う。で、本当に感動しているならまだマシだが、個別の「感動的な話」を引き合いにして感銘を受けたふりをして結局感想として今の自分語りに終始するなどといった残酷なやり方が横行している(というかほとんどそれ)のは、わりと本気で全員別の世界で生きてほしいと思う。

(6) 消費社会のなかで、バリバリ仕事をして働くことが至上命題になっている。そのような社会を作り上げてきたのは歴史の中で常に男であったが、ついに男は女を動員して、男女共同参画社会を完成させようとしているとしたら。そして、女たちから家庭や妊娠、出産といった個々の身体として代替不可能な作業を奪っているのが、フェミニストたち(男の傀儡としての)だとしたら。
 フェミニストがやるべきことは、男たちの社会に取り入れてもらうことか、男たちから女の身体を取り戻すことか。

(7) 現代美術は「なんでもあり」の様相を呈している、などとよく言われるが、他の芸術のジャンルからしたら、今なお様々なアーティスト・アートの系統立て、順序立て、といった作業が根気強く続けられていると思う。美術ができることの提言として、(美術的)批評界の役割、枠組みを、他の芸術ジャンルに輸出すること(あるいはそうして美術の範疇を拡大すること)。

(8) 料理をすること、小説を書くこと、などといった「誰もがトライするがほとんどの人は上手くいかない」趣味は、それを堂々と「趣味」として語る者への風当たりが強い。

(9) 人間を二つに分けると、舞台に立てば立つほど面白くなっていく人間が一割と、面白くなくなっていく人間が九割いる。そして残念なことに、前者は舞台に立とうなんてことは滅多に思わないため、今日も舞台の上はどうひっくり返っても面白くない人間たちで溢れている。

(10)ルイーズ・ブルジョアの作品は、日本では六本木ヒルズの巨大な蜘蛛が最も有名だと思う。彼女の作品に『無題(指)』というのがあるのだが、『無題(指)』とするなら『指』とすればいいところを、なぜ『無題(指)』にしたのだろうと思った。こういう野暮なことを考えるのもさ、現代美術の見方だと思うよ。