痛さに慣れ

 ひっさしぶりにうえだくんに「ブログ更新してよ」って言ったら、なんとなくだけど「あんな痛いブログ一緒にやるのもう嫌なんだよね」みたいな雰囲気出してきたので、このブログのタイトルが『タゴモのユニバーサルライブ』になる日も近いのかなあって思いました。まあ、当初からうえだくんはあまり乗り気じゃなかったというか、そういう雰囲気は常に出してきてたし、こういう自意識過剰な文章読んで面白がる人じゃないっていうのは分かってたんですけどね。彼は、わりと淡々とものごとを突き詰めていくタイプなので。

 僕はブログでもツイッターでもそうですけど、っていうか小学生のころからずっと「痛いやつ」として育ってきて、いまだにツイッター見た人とかブログ読んだ人から「痛さ」を指摘されるんですね。でまた、こういうこと自己言及してること自体「痛い」じゃないですか。文章も上手くない、特異な体験をしてるわけでもない、有名人でもない奴が何かを「語る」っていうことがイコール「痛い」に直結しがちな現代社会、まごうことなき「痛さ」を地で行ってる僕はわりと貴重なタイプだと思うのです。こういうことはもう以前から散々言ってますけど、「オープンに何かを書き表す」のにはいまだに「地位」「文章力」「発想の奇抜さ」「知名度」「強い動機」みたいなものが不可欠だという風潮があって、そういうのがない僕みたいなやつがオープンになにか書くとそれだけで「痛い」「かっこわるい」みたいな感じになるっていう。僕が言いたいのはね、肩書きにぶら下がれないと何も書けないっていうのは、悲しいことですよ、きっと。せっかく面白そうなひとでも、「なにか文章を書かないの」って聞くと、「文章力がないから嫌」とか「書きたいことがない」って言うのよみんな。文章力があったり、書きたいことがあったりしないと文章が書けないのであれば、書店に本は並ばないし、作家は本を書けないと思うよ。文章力があったり(そもそもいきなり「文章力がある」奴って何者だよ)、なにか強力な「伝えたいメッセージ」があったりして、そこから「書こう」って思うんじゃないと思うけどなあ。もちろんそういうタイプもごく少数いるでしょうけどね。
 あと、よく「ブログやるなら日記を書けばいいじゃん。わたしも日記書いてるよ」って言ってくる人がいるんだけど、僕は日記も書くし、かといって日記とブログの違いがそんなにないんだよなあ。ブログでも心情を吐露しているので。自分の書いたものをオープンにしない、つまり日記派の人たちは、それこそ個人名を出して誹謗中傷したり、読まれたらやばいプライベートな内容を書きつづってるんでしょうけど、僕はそれをやるつもりはあまりないというか。僕は日頃のイライラを手記に書き殴ったらひとりでストレスが解消できるほど立派な人間じゃないのです。自己を省みる手段として日記は重要ですけどね。そんなものとは別にやってるわけですから、ブログは。

 いつまで、なんの肩書きもなく自由にブログなんてものを書いていられるかなあ、と思う。ずっとこうしていたいですよ、ほんとにねえ。

 「痛さの壁」を眺めてないで、いくつもぶつかって乗り越えていく方が、人生楽しいと思いますけどね。どうなんでしょう。