サンキュー・フォー・スモーキング

 ぼくは、タバコが嫌いである。タバコが嫌い、ということをあらためて宣言するのは、やはり気が重い。なぜなら、タバコは、馬鹿にすると厄介な人たちを敵に回すとして恐れられている四大ヤンキー文化、すなわち「クルマ、パチンコ、タバコ、エグザイル」のひとつだからである。

 さて、オチのところで見栄え良くカタカナを並べるためにここまで「タバコ」という表記をしてきたが、なんだかアンパンマンの「バタコ」みたいで気合いが入らないので、ここからはたばこ、という表記でいかせてもらおう。

 ぼくがたばこを嫌いなのは、まず、けむたいからである。たばこは、けむりが出る。しかも、たばこのけむりは、上に行くでも下に行くでもなく、なんとなーく、ばかみたいにただよう。気体特有の「どこへでも行ける私」みたいな感じで。そのくせ、たいていその付近に留まって、おもに人の顔面の高さでただよう。もっとこう、空気より重いとか、軽いとか、気体ならではの空気とのせめぎあいというか、個性があればいいのに、そういうのはないらしく、「風次第」という極めてだらしのない感じで、ただよっている。


 けむりも嫌いだが、ぼくが強く主張したいのは、ファッションとしてのたばこ、そのだささである。

 まず、たばこの持ち方だ。あの、人差し指と中指のあいだに「はさむ」やり方。あれが気に入らないのである。
 ひとは誰しも、かつてはあかちゃんであった。そして、あかちゃんは、手の腹でものを「握る」ことから、世界を知る。なんて無垢であろうか。指先が器用じゃないから、握ることしかできないのである。そのうち、成長してくると、あかちゃんは、指先でものを「つまむ」ことを覚える。親指とその他の指を使って、その間でものを「つまむ」のである。おもちゃをつまんで、人形をつまんで、遊ぶ。なんて可愛らしいのだろう。
 しかし、そんな可愛い時代もつかの間、いつからか子どもは、ものを指で「はさむ」ことを覚える。指を折りたたまなくても、「パー」の手から単純に指を閉じれば、それなりにものをはさむことができると、気付くのである。


「別に、握らなくても良くね? ちっちゃいものなら、はさむだけで十分っしょ」


 ふざけるな、と言いたいのである。


 ぼくたちはかつて、おしゃぶりをくわえていた時代があった。思い出してほしい、あのおしゃぶりを口から取り出すとき、唾液でびちょびちょになったおしゃぶりを、きき手の全部をつかってむんずと握り、腕までヨダレだらけにしたではないか。自分のおしゃぶりを外すとき、「汚いから」という理由で、指先でおしゃぶりを器用に「つまんで」外したり、あろうことか指の間に「はさんで」外したことがあっただろうか。否、われわれは決して、そのような横着をしたことはなかったはずである。

 それにくらべて、たばこを吸っている奴らはどうだ。どいつもこいつも、「ほとんどパー」みたいな横暴さの手でもって、たばこを口から外したり、また口に戻したりしている。「このくらいの大きさなら、握力なんて使わなくてもイケるっしょ」とでも言いたげな表情をしているのだ。もっとひどいのは、「指と指の隙間に、たまたまはさまったんス」みたいな顔をしてたばこを持っている奴もいる。たしかに、あなたは昔とくらべて器用にはなったのかもしれない、しかし、もっと大切なことを忘れてしまったのではないですか、と言いたいのである。たばこを吸っている人間の姿というのは、「洗練されました」みたいな、ひどい文化人面していて、格好「よさげ」なのが、腹立たしい。「猿から進化して、はさむという手段を覚えたんスよ」みたいなドヤ顔感が、ぬぐえないのだ。

 いっそのこと、ギタリストがハーモニカを吹くときに使う、あのダウジングの棒をひっくり返したみたいな首かけ型の器具を使えばいいと思う。そうすれば、あの醜いドヤ顔感が、少しは減るだろう。もう、たばこを、「指ではさむ」の禁止。
 極端なことを言うが、「指ではさむ」という動作がカッコイイと感じてる人は、ちょっと頭が悪そうだな、とすら思っている。男子諸君なら分かると思うが、キャッチボールをしているとき、やたらフォークボールを投げてくる奴がいるだろう。そいつと同じ「アホっぽさ」を感じる。あと、ペットボトルを、人差し指と中指を使って、キャップの下の部分をはさんで持つ奴もいるでしょ。ぶらぶらぶら下げて持つ奴。あれも、バカっぽいよね。つまり、人間は進化によって、猿には不可能な「はさむ」という高等な「持ち方」を習得したわけだけれど、それを今度はあまりに「これみよがし」に使うと、ダサくなっちゃうんですよ。分かっていただけましたか。

 ちょっと話が変わっちゃいますけど、オリンピックでメダルを取ったアスリートが、表彰台の上で手持ちぶさたに耐えきれず、とりあえず首からぶら下がっているメダルを噛んじゃう、っていう寂しい現象があるじゃないですか。どんなに速く走って、表彰台のいちばん上に立っても、彼らって台の上でじっとさせられて「間を埋める」能力はないから、とりあえずメダル噛んじゃうでしょ。「とりあえずメダル噛んどけばいっかあ」って言いながら。でも、たとえば、一等賞の賞品がダイソンだった場合、ダイソン噛む奴います? いないでしょ。なぜなら、ダイソンって、床に落ちている埃を吸うためのものだからです。ちゃんと用途があるから、それ以外の「噛む」とかいう行為は、お断りなんです。
 つまり、メダルって、意味ないんですよ。意味ないものが首からぶら下がってて、なんか噛むのにちょうどいい、おせんべいみたいな形してるから、噛んじゃう。で、噛んだら、ちょっと「笑ってる」みたいな顔になるから、それがまたカメラマンにとっては好都合、っていう。

 話がそれましたね。なにが言いたいかというと、ひとは、間を埋めるために、とりあえず口になんか入れとけばいっかあ、っていう方法をとりがち、ということです。ものさびしさを、とりあえず口に何かくわえたり噛んだりすることで「ごまかす」っていうのは、これもまたちょっとバカっぽくないですか。なんか、たばこなんていう方法に頼らず、「無」と向き合う時間があっても、いいじゃないですか。別に、頭から何かひねり出さなきゃいけないクリエイターでもないんですから。

 あと、二点。

 たばこって「火」だから、ちょっとワルい中学生が火遊びをしたがるように、どこか「アブなさ」を求める心をくすぐるんだと思います。これも、例えば猿って火を怖がるじゃないですか。「はさむ」論と同じように、おいらはもう猿じゃないぜ、進化したぜ、洗練されたぜ、だから火なんて怖くないんだ、とでも言いたげな感じがしますね。

 最後、けむりに関してですが、たばこ吸ってる人って「たゆたう」ものが好きっていうのも、あるんじゃないですかね。たばこが好きな人って、アクアリウムとか好きな気がするんですよ。なんか、あいつら、ゆらゆらしてるものが好きじゃないですか。ゆらゆらしたりするものって、なんていうか、スピリチュアル感があるから。ラッセンの絵とか、すごい、いろんなものたゆたってる感じしませんか?


 長くなっちゃったんで、このくらいにします。たばこ吸っている人、まあ、気を悪くしないでください。麻薬みたいなもので、やめたくてもやめられない、っていうのは分かってますから。それでは!