ダリとスプーン

 前回の記事を読んで、ひさびさに、自分の脳のまどろみを目の当たりにしたというか、言葉のチョイスの乱雑さ、主述関係の崩壊、起承転結を無視しまくった奔放さが、波状攻撃のように積み重なっていて、左脳のレスポンスのなさに右脳が「えっえっ」ってなってる感じが、自分では読んでいて非常に愉快でした。人に読ませるものではないな、と思ったけど。

 ダリ。

 あ、壁を引っ掻いた音じゃないですよ。人の名前です。ダリは、あ、これはうえだ君に聞いた話だと思うな、ダリといえばシュールで抽象的な絵画や立体が有名だと思うんですけど、ダリは絵を描く時、スプーンを口にくわえて、カンバスの前でウトウトするそうなんですね。で、意識が飛んだ瞬間、口元がゆるんで、くわえていたスプーンがカチャリと音を立てて床に落ちる。そしたらダリは、その音を聞いてはっと目を覚まし、まどろみのなかで自分が見ていたイメージを描き、作品にしたそうなんです。
 まあ、さすがに毎回毎回絵を描くたびにスプーンくわえてたら「いつもプリン食べたい人」みたいに思われそうだしそんなことはなかったと思うから、そんな手法をとったこともあった、っていう程度でしょうね。で、ダリさんがとったこの手法は、右脳で思い描いたイメージを、すみやかに左脳へと移行させて、さらにそれをきちんと理論だてて丁寧に芸術に昇華していった、ということだと思うんですね。
 で、前回の記事を書いた時の僕はなにがいけなかったかというと、スプーンをくわえていなかったがために右脳が思い描いたことを瀕死の左脳を通して表現してしまったということで、左脳=網目の粗いザルなんかを想像してもらえれば分かりやすいと思うのですが、ここのところが天才芸術家と僕の違いだと思うんですね。あと、スプーンを落としても寝続けるであろう、という確信ね。くわえているスプーンを落としてしまうほど眠い人間が、スプーンが落ちたことに気づいてから律儀にスプーンを拾って(別に拾わなくてもいいんだろうけど)作品に向かい合うか?っていう話で。僕のおばさんなんか、酔っ払ったとき、歯磨きしながらソファーで寝て、ハリウッド映画よろしく「歯磨き中に撃ち殺された一般市民」といった状態で口からデロデロと歯磨き粉(液?)を垂れ流していましたので、「表現欲」なんてものは「睡眠欲」には勝てっこないと思います、残念ですけど。
 あ、ちなみに僕は「右脳」「左脳」っていう役割分担を完全に信じているわけではないですけど、芸術における「ひらめき・直観」と「理論立て」はきちんと分けるとイイと思っているので、そのモデルとして「右脳」「左脳」って言ってるだけです、はい。

 そういえば、最近周りにエヴァを観たっていう人が多くて、序と破を映画館で観ている僕としては是非近いうちに観たいと思っているのだが、なかなかタイミングがない。それに、エヴァって誰と観に行けばいいのか非常に難しい映画だと思う。まあ、一人で行くけど、今回も。
 エヴァンゲリオン庵野秀明が監督をしていたアニメですが、キャラクターデザインは貞本義行っていう人なんですな。で、なんでそんなことを知っているかというと、貞本さんの奥さんは漫画家のたかはまこという人で、僕はこの人の描く育児エッセイマンガが大好きで、小学生のころから愛読していたのです。で、エッセイだから当然旦那さんの貞本義行氏も出てきて、そのころの僕の認識としては「アニメ業界で働く普通のおっさん」という感じで読んでいたのですが、エヴァが劇場公開されたあたりから「貞本義行」の名前をちょくちょく目にすることがあって、「あれ?」と思い調べてみると、あ、やっぱり、僕が小学校のころから知っていたあのおじさんじゃないか! ということになりまして。だから、ちょっと思い入れがあるんです。
 ちなみに、庵野さんの奥さんも安野モヨコという漫画家で、安野さんも『監督不行届』というエッセイ漫画を描いています。で、その巻末に庵野さんが(ややこしいな)「貞本の奥さんが漫画家でエッセイ漫画を描かれていたのをみて、僕もこうなるのかなあと思っていた」と書かれていて、フフフ、と思ってしまいました。
 最近では伊藤理佐という、この人も僕が大好きな漫画家なんですけど(文春で連載してるけどエロ漫画家みたいなものです)、彼女も吉田戦車と結婚して、夫婦ともども育児エッセイ描いてますね。おもしろいですよん。
 ひっそりと、“育児(夫婦)エッセイ漫画”に関してはそこそこの知識をもっていると自負している僕なのであった。
 かといって、子供が好きってわけではないんだけどな……。