なぜお笑いコンビはお互いのことを「さん」付けで呼ぶのか

 以前、テスト前の部屋掃除としてのブログと題した記事で、「人生とは『死』というテスト前の長い長い部屋の掃除である」という名言を残した僕ですが、そろそろ大学がレポートの時期に入ってきたということで、このブログの更新も多くなっていくような気配を漂わせています。こんばんは。

 今回の記事は、タイトルのとおり、なぜお笑いコンビはお互いのことを「さん」付けで呼ぶのか、ということを考えます。
 まず、代表的な例ですが、ダウンタウンはお互いのことを「浜田さん」「松本さん」と呼んでいます。それから、さまぁ〜ずもお互いのことを「大竹さん」「三村さん」と呼んでいるようです。ナインティナインも、突っ込みの矢部っていう人は相方のことを「岡村さん」と呼んでいます。

 これにはおそらく理由があります。ひとつめ。どのコンビも、学生時代からの付き合いなので、長く付き合っていくうちにあだ名で呼びあうのが恥ずかしくなったのではないか。それからふたつめ、僕は恐らくこちらが重要じゃないかと思うのですが、お笑いを観ているお客さんが、あだ名で呼び合う「慣れ合い」を目にすると、テンションが冷めてしまうんじゃないかと思うのです。

 これと同じ状況は日常生活にもあって、たとえば一緒に歩いていた友人が街ですれちがった相手に声をかけたりしますよね、たまたま知り合いだったらしいとき。そんなとき、僕なんかは嫉妬深い生き物ですから、「今のだれ?」と聞くんですね。それにたいして「山本くんだよ」って言われるのと「リョウマだよ」って言われるのではだいぶテンションが変わってくるのです(名前はテキトー)。なんていうか、そういうときに親しげな呼び名を言われると、僕は疎外感を感じるのです。いま自分の前にいるひとに、別の世界があって、そこではまた別の顔を持っていて、それなりに楽しそうにしている、というところまでバアーッと想像がいってしまう。女の子かよ、って感じですが。
 で、これについてなにが言いたいかというと、一つの処世術として「親しいのは君だけ」感を出すっていうのは非常に重要なのではないか、ということです。うわべっつらだけでもいいので。
 こう考えてみると、お笑いコンビがお互いのことを「さん」付けで呼ぶのには非常に意味があると思います。お客さんはお笑いのトークを、二人の過去を共有しないまま、共有しなければならないので。この論理でいくと、なぜ「トークができるお笑い芸人」はトリオではなくコンビなのか、というところも見えてくる気がする。


 暇なので過去に自分が書いた記事を読んでいたのですが、一体全体なにを書いているのか分からない文章だらけで、まあそんなことは書いてるときから百も承知で書いてるからいいんだけど、本当に純然たる駄文を積み重ねて今日まできているのだなあと感心した。感心している場合ではないが。